8月10日
6月30日メンラ・バンジャンを越えて、ネパール側の谷は小さな池から、崖となり150mから200mも急激に下流へ落ちて平な草地から二つ目の崖となり、谷は長細い気持ちのいい草地がつづいて谷が右手から入り込む。ここ左岸のゴータンヒマール西端のヨセミテのエルキャピタン・ノーズルート小型版岩壁下の草地、広場に少し早いが10時に着いてテントを張った。この岩壁右に缶切岩が見えた。

タケ、カンチャ、テインキューさん(馬方)3人で右岸の谷に入り、ラル・バンジャン方面から西クン・コーラへ尾根越えルートの偵察に。結果はこの谷は一本上の谷(東側)と判明。 ポーター全員はムーガオンへ食糧調達に出かけた。GPS 29 33 821-889N 83 14 966-984Eがテント場。大阪の吉永に電話。ここの位置と尾根越えルートを二人で検討した。 「オオニシ!メストウトよりひとつ上の谷出合や!そこは・・・・」「メストウトは1km下流や」 みんなは目の前の谷に入ったので、明日再度下流の出合からラル・バンジャンに入る事にしよう。

ラル・バンジャン 勒如山口(中国名:マラ・ラ 墨拉)5239m 29 36 22N 83 12 35E へは、7月1日、ムシコーラ右俣をメストウトへと降り、二俣の左側の谷に入る。この上流がラル・バンジャンである。出合は地図上で4841m。ここから5220mに長細い池、20mほど上流の高度に円い池があり、小川がここから長い池に向かって流れていた。この池の奥が一番高い所で本来ならここが国境だが、地図では、この両方の池の真ん中に国境が走っている。チベット側は西側の尾根が東に曲がり、チベットの山々は見えない。500mぐらい下、チベット側に小さな丸池が見えていた。峠の東側は岩壁の尾根が走り(画像:1)、西側はネパール側には鋭い岩峰(5707m)があり、5738m、5408m、5584mと下流の方が高い岩峰がある。5408mの尾根を越えてクンコーラ側のラプランペンジ・コーラに抜けられるかも知れない?昨日、インマル電話で大阪の吉永さんにも調べてもらった。行けるかも知れないけどゴラは越えられない。何よりもポーターの食糧不足がネツクとなって、ムーガオンへ一足先きにポーターは下る。

ムーガオンではポーター達はツアンパは一人、1マナしかわけてもらえなかった。計量は(2マナで1パム)(4パムで1パテイ)という単位である。昨夜メンラ・バンジャンで会った親子連れ、交易おじさんが早くも我々に追いつき、チャウチャウラーメンを6ケ、120Rsで購入した。ラル・バンジャンに入り、追いかけてきたナムグンコーラから来た交易人4人組みと遭遇。峠から確かにチベツト側は谷は北に向いているけれど、チベットの山なみが脈々とうねって見えない。大きな湖も見えない。峠に二つ池があるので、もしこの峠を越えているなら、慧海師の表現は異なったものになっていたかも知れないし、ムシコーラを溯っているなら、谷の途中に現れるムーガオンの事が出てくるはず?

三つ目の池を確認して、ムーガオンを通り、パンザンコーラのクンコーラ出合で幕営する皆んなと合流した。クンコーラの水は清んでいる。


7月1日に越えたラル・バンジャン 勒如山口(中国名:マラ・ラ 墨拉)5239m 29 36 22N 83 12 35Eをさて慧海師は越えたか?

可能性は少ない。シエー・ゴンパに立ち寄りサルダンからニサル へ出る可能性はある。サルダンからコマを通りシーメンへは、目の前のダフエソイラ峰を国境越えの目標の山としているなら、行かない。 ましてシーメンを通り越して上流のテインキューへは荷物を担いで2時間も東へ進まねばならない。シーメンに寄っているのなら、マリン・バンジャン(マユン・ラ)へは行かないで、ヤナン(エナン) バンジャンへ向かったろう。チャラ・バンジャンへは時間的に早いが、 積雪があったのだから、この峠へは行かない。

高山龍三著「河口慧海」 人と旅と業績(大明堂)で高山先生は、根深氏の説、マリユン・ラを引用されて、シエーゴンパへ立ち寄り、 シーメンからこのマリユン・ラを越えたかも知れない。とされている。しかし異論を唱える人もある。とも記されている。

シエー・ゴンパに立ち寄りシーメンへ行ったかもしれないが、 これならヤナン(エナン)・バンジャンを越えたと思う。

サルダンからパンザンコーラへ下り、ニサルへ行ったならヤンツエルン・ゴンパに立ち寄っただろう。クンバンジャンへのクンコーラを渡り、わざわざ人目を避ける為にムシ・コーラを溯つだろうか?谷の途中にはムーガオンがあり、メストウトに向かったなら右俣のメンラ・バンジャンが近いけど・・・・・。わざわざ左俣へ磁石に頼って、このラル・バンジャン(マラ・ラ)向かったろうか? メンラ・バンジャンは完全に東の方向へと進むから違うかも知れない?このムシコーラのふたつの峠の可能性は比較的薄くなる。
 
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峠の東側は、ラカ・ヒマールの岩壁帯はチャヤンチュンと地図で表記されている岩峰群。左の谷、下にチベツト側の池がある。岩壁上の▲状岩峰は5721mで、国境はここからムシコーラ左岸に沿って南下。チャルカボート・ヒマール。これらの二つの名称はチベット側の呼び名である。右端のピーク5932mでネパール側となる。(画像:1)
 
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峠の西側は三角形の岩峰が5707mで奥が5861mで、国境はこのピークでなく左の円い低い方へとなり、その奥の小さな岩峰5850mへとなる。右側のガラガラの壁の円いピークはチベット側で、谷はチベットへ降りる谷となる。(画像:2)
 
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