8月9日 さて、メンラ・バンジャンを慧海師は越えたろうか……・?
地図上 29 34 06E 83 16 05N にあるメンラ・バンジャン 5335m (中国表記では門格拉)。この峠はニサルからムシコーラの右俣を溯ると達する事が出来る。パンザンコーラはニサルからシーメンへはゴルジュが続いていて通れない。スネルグローブの記述もその事は書かれていて、読んではいたがKTMの市販の地図には路があるように書かれている。路が開かれたのかもしれない?との期待もあったが、やはり通じてはいなかった。ムシコーラへはこのゴルジュが始まるパンザンコーラの右岸の路を進み、ニサルから二つ目上流の谷である。私達は29 35 691-722N , 83 21 730-788Eのヤナン ポカリのテント場から地図で門格と記された広い谷を溯る。流れは貧弱なもので、 飛び越せる川幅で廻りにはグラスが一面に生えていて、チベツタンの放牧テントが2張、子供達が3人と男が現われて怪訝そうな顔でシエルパと話す。 二つ目の長い池上流にヤクの放牧。ここから小1時間登ると広くU字状に開けた峠で直径200mぐらいの円い池があり、二つのチョルテンが峠を標す。 峠手前で幕営。ここで会ったナムドーの親子連れの交易商人はナムドーを出てニサルで1泊、ムー村で1泊、このままチベット側ヤナンポカリを越えてチベット側のバザールで買い物をして、夜半にポカリ近くまで戻り、そこで1泊して、 翌日メストウトの我々のテント場に戻ってきた。

だから、慧海師が、もしシエーゴンパに巡礼して、セラ・ムクチュン経由でサルダンを通り、ルリガオン手前の橋を渡りニサルに夕方には到着出来る。

翌日、クンコーラか、このムシコーラを溯れば、途中1泊して容易にチベット側の老婆のテントへ着く事が出来たろう。 でも、このムシコーラを溯る事はないだろう?マナソロワール湖とカイラス (Kang Rinpoche)を頭に描たとしたら、何も遠廻りして、また、人目に立つ 途中のムーガオンという村を通る事はない。私なら手前のクンコーラに入り、 クン・バンジャンかルンチュンカモ・バンジャンを越える。 このメンラ・バンジャンからチベット側の谷は東を向いていて……。 でも峠には夏のシーズンだが、この付近に唯一小さいながらも残雪があった。 チベットの雪の山並みが脈々と遥か遠くに見える。でも、肉眼では望見出来る 山々は小さ過ぎる。峠のテント場から夕方近くに残照のロインボカンリ峰(7095m) らしい雪山と西側の6000m級の山を望遠レンズでやっととらえる事が出来た。 この峠からチベット側の谷を下るとヤナンポカリの長方形の湖の途中か、下流の丸池上に出て、三つの池が見渡せる所に出るので慧海師はこの谷を降りている可能性は、 この記述がないので、少ないように思う。 シエーゴンパへ参拝していたとしたら、ナムグン、サルダンと通りこの辺りの人が利用するニサル村から、クンコーラに入りクンバンジャンかルンチュンカモ バンジャンを越えてチベットに入った可能性の方が大きいように思われるが?
 
メンラ・バンジャン手前のテントを7時半に出発。すぐこの丸い池に出る。背後のガスの中には、岩山のゴータン・ヒマールが見え、中国名は惹嗄康日(ラカヒマール)の 北の端である。(画像:1) 広大な峠のネパール側に降りると、すぐこの浅い池がある。
(画像:2)
峠の浅い池を過ぎると谷は崖となり(エンドモレーンの名残か?) 右岸のガレ場を降ると気持ちのいい草原状に高山植物が無数にある。(画像:3) 翌日、テントからラル・バンジャン出合であるメストウトへは 30分程で着いた。モー部落のカルカがあり、小さな池もある。男女7人程の村人が茶を沸かしツアンパを食ていた。ここから3時間ほど下ると左岸の崖の上にチョルテンがあり、流れ橋を渡ると忽然とムーガオンが現れた。 数十本の柳の木と猫の額ほどの緑の畑。子供達は驚いて山の方へワアーと騒いで逃げて行く。「…・・?」寄り付いてこない……?こんな事は始めて…!(画像:4)
 
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メンラ・バンジャンは国境が29 29 55N 83 16 55Eからチャラ・バンジャンを越えて29 36 20Nまで南北に12Km走っていて、29 34 10N 83 16 04Eにメンラ・バンジャン(門格拉 5335m)が地図上にある。 写真は峠の南側で、左の東は(画像:2)の池の山側までネパール国境 で峠から1Km東に延びているから5728mのピークの北東稜の下までネパール領である。峠から5分も降りるとゴータンヒマール北端に、このような北側が岩壁になった5482mから西へとムシコーラに沿ってメストウトまで延びて、ヨセミテ風岩峰あり、缶切岩が見える。 この峠から目の前に缶切岩が見えた時は驚嘆したのであった。(画像:5)
 
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メストウトの上流 4940m 29 31 25N 83 13 40Nの右岸(北側)に テントを張った。そこから北を見たPHOTOが(上図画像:6A)でチャルカ ボートヒマール(中国名:冊尓嗄夏特雪山)で東西に5Kmありチベット側がエルキャピタンの様な岩壁がある。特異な二つの岩塔、その右の山の鞍部への斜面を上がるとメンラ・バンジャンである。 左の白茶色く、陽の当たる下の谷はラル・バンジャンへの谷で下流はムシコーラのモー部落の西の山へと続いている。
 
(上図画像:6B)は左が東で5482mの岩壁帯を真下から仰いだもので、メンラ・バンジャン への鞍部斜面につづく。
右端(西)の谷がムシコーラで南南東を見ていて、二つの山はモー部落左岸(東)の山でシーメンへの稜線となる。
山は5505mと5462m。この山を越えて、スネルグローブはチャンラ・ コーラへトラバースして、谷を下りシーメンへ降りた。
(画像:6A)(画像:6B)は左右とも繋げて360度のパノラマである。
 
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