8月2日−その2
テンキューで買ったチベット犬(愛称ムグ)はタケ達と別れて、ガムガディからジュムラに着いた日がドしゃぶりの雨ではぐれて、行方不明 となり、2日間ポーターとシエルパが探したけど見つからずとなり延々と行動を共にしたのに。残念ながら持ち帰えれませんでした。

最奥の村ポエガオンは川喜多隊の記録では村を閉じる?。川喜多隊はムグコーラ手前まで 到達した・・・・・?
村は閉じられなかった。40年前にこの村のゴンパを建てたラマ(テンジン・プンゾーさん)62歳はポエからサルダンの途中の村コングロガオンの人達がこの村を開墾して、現在ビジョールから来たお嫁さん2人以外は全てこのコングロの人達。 と話した。
昔の村はボロボロに壊れ、西側の山裾にツアルカと同様、お城風に固まって9軒の家が造られ、畑も写真のように大きくなった。 9家族とラマ(村民37名)インドへ出稼ぎ3名、KTMへも3名が出稼ぎに出ていて、全家族構成と名前調査をしてみた。 ヤララへのガイドとなったニンマ・ラマ君 (ラマでKTMで勉強中。一旦KTMへ共に帰る事になった)

ポエ村のチベット交易商人(途中共になる)は無名バンジャン5663mをユンブルバンジャンと呼び、 クー村への谷を(コンルンコーラ)のことをローコーラと呼んだ。

最奥のポエの人にポーターなどなる人がいるわけ ない。何せ女、子供しかいないし労働力が不足して まんがな。5人の若い女の喉頭腫は遺伝性かもしれんとスミヨシDr.はKTMで話してたけど、ヨード不足 なんだから薬を持ってこなくてはアカン。 で、ニンマ・ラマ君をこのままKTMに連れて行く事に した。彼女らを救わねば・・・。

ヤララまで3日、タクラコーラまで4日、ゴララまで1日で ぎりぎり到着。ポエに帰るのに4日かかる。9日でゴララ 往復は可能かも知れないけど・・・・。 道はかすかな踏跡。 チャングコーラからカドポサナムコーラへの谷筋の藪こぎを半日。カドポサマムコーラからタクラコーラ出合までとタクラコーラ遡行も藪こぎ。三角形デルタ のトラバース道も藪こぎと岩場トラバースもある。 シラジット取りの男は9月にならないと入谷にない。ヤララを境に風景が完全にかわる。それまでのチベットがネパールになる。緑の草、樺の太い幹、針葉樹、花。 全身没するブッシュ漕ぎ。4000m〜4400m辺りのこの 作業は大変だ。20人の大人がわんさかわんさか藪を漕 ぎしても道は大変だった。昨年秋の記憶でタクラコーラからゴララへの道は簡単にわかったけど、初めてこの谷に入ったら、どこにゴララがあるか?と思う。まあ帰ったら川喜多隊の報告を読まねば。
 
手前雪の三角形の小山がダフエソイラ峰6103m、雪帽子を被っているのがパチュンハム峰6529m
両者はダブって見えるがダフエソイラが国境でパチュンハムはチベット領内にある。
北側には雪が続いている。
 
クンバンジャンの東にある国境の岩峰。
(いずれも撮影ポイント)サルダン村から登りつめた
29 24 761-807N,83 03 392-452E 4418-4591m
 
ビジョールのゴンパの壁画
ラマ僧はシェーゴンパなんか新しいゴンパでここのゴンパの方が古いのだ!
拝殿の裏のこの壁画を見せてくれた。
その他の壁画は全て新しいけど・・・。
 
ビジョールから急登し、トラバースするとヤンブル峠。
南側にツオカルポカン北壁。
北側、目の前に24度にパチュンハム峰とダフエソイラ峰がこのように見える。
パルチュムハンガー連山はガスで頂上付近が見えない。
 
前の日へ   カレンダーへ   次の日へ