30th.JUL | |||||||||||||||||||||
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ネパール新図幅 DAMODAR HIMAL Sheet No.2884 01 (1:50.000) これをjpg.で解像度を落とさなければダウンロードに時間がかかる。 地図をより鮮明にするには、そんなこと無視すればいいのですが、これがまた難しい問題なのですなあ。 時間と電話代。82HAJとあるのは、‘83年 日本ヒマラヤ協会隊のルートである。 5月25日Am4:50CIIIを出て6655mの北北東支稜から雪庇の張り出した痩せた尾根を アンザイレン8時45分頂上に立つ。そのまま6655mのコルへクレバスに注意しながら下り、 アイゼンの爪が入らない程のブルーアイス2ピッチを越え、頂稜直下の大きく張出した 雪庇を迂回するため、右斜上して50度の4ピッチの雪壁を越えて頂稜に出た。 ここから痩せた馬の背リッジ2ピッチ、あとは淡々とした尾根上を1時間コンテニアンスで進むと プラトーに出て、頂上へ11時55分ドーム状の頂上に立った。(HAJ年報IIIより抜粋) 石井清君達の記録報告はない。彼からの話では、キャンプを2つ出して北壁を直上して 頂上に達したもの。タンゲからHAJ隊とほぼ同じ行程でベースキャンプを設けた。 奥田仁一、小林知子は2002年7月17日ABCから北の6042mのコルへ出て、 天候悪化でホワイトアウトとなり、登頂を諦めた。コルから少し上部へルートを開いたが、 ヒドンクレバスに落ち込む。OAC:URL―2002 早稲田大山岳部2名は来年の偵察2002年9月上旬、奥田達のABCまで達して偵察を終えた。 これで、ダモダールヒマールの北部山域の解明はなされた。のかな? |
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