29th.JUL
フライト待ち七日目
朝の5時、外は黒い雲に覆われていたが、6時になるとホテルの南側の窓からツクツェピークの頂上付近が青空に美しく見えた。カリガンダキ下流の上空も今日は初めて青空が見えて「本日のフライトは完璧に参ります」と空港に集る人達も笑顔が見える。飛行機会社から戻って来たホテルのオヤジの顔に笑顔がない。「ポカラが雨」「…・ン?青空があんなにあるのに…」荷物を空港へ、まだ運んでいないアンプルバは「バラサーブお部屋でお待ちを…・」と言った。『チベットの七年(人と自然叢書):H・ハーラー著(近藤等訳)新潮社1957年』
を今回は二度も読めるなんて。今回はもう一冊『赤いチベット:R・フォード著(近藤等訳)新潮社1959年』も楽しんだし。朝昼兼用、ギー抜きダルスープのタルカリダルバートを食すと本日もフライキャンセルが知れ渡った。カルマはポカラまで歩くという、今日はレテまで行って明日はベニへ出て、ナイトバスで30日の朝カトマンズ着。アンプルバは僕達もそうしましようと言ったけど、「読書があるのだ」と答えた。
 
↑画像をクリックして頂くと、拡大版でご覧頂けます。
2000年夏、東京の石井清君達が登ったブリクティ・サイル頂上からの
パノラマ写真を今回出発前に彼から送ってもらった。
人のヒマラヤ登山にどうこう言いたくないけど、違う山へ登ってのブリクティ・サイル峰登頂は良くない。
本人はこの秋、ガウギリ峰6170mへ行く前の8月31日来阪して「お前違う山に登ってるでえ」と指摘して
「この山へ行ったんや」と登頂ピークを地図で示した。
このパノラマ同定も見せてやったけど、地図もやったねんけど…・。
あいつは笑って「そうか!ブリクティより高い山やったか」と答えた。
‘82年HAJ隊(菊地薫)はインド測量局の地図によりダモダールヒマラヤをタンゲから5018mの
メ・ラwp越えてサマルコーラ(新地図:Yamkan Khola) に入谷して
周辺のKhumjungar、6655m、6476m,6460mなどを登った。
‘90年代の初めにブリクティ・サイルは‘91年10月22日に3人のシェルパ(Lhakpa,Ang Zangbu,Ang Kitar)
によって初登頂され合同隊の英国人は登れなかった。
同年の11月3日にフランス隊Bertrand Dologezら8人によって第2登された。
‘92年再びDologezは別のパーティ9名とシェルパ2名が11月1〜2日に登頂した。
これ以降の記録は今のところないように思われる。
写真のSalibung峰とRatnachuliの間の三角錐の山はHimlung Himal 7126mだろう。
弘前大隊の新オープンピーク Nemjung7139m,Kyuji Kang 7038m,Kang Guru 6981mなどが
ダブって背後の一段と高いピークはマナスルと思われるが、さて同定遊びに参加される方の反論を期待してます。
 

    BACK TO CALENDAR