17th.JUL
明るくなってもガスが晴れない。今回はモーニング・ティと言わなくて、ベッド・ティとアンプルバは表現を変更した。すなはち、寝袋に入ったまま横向き寝姿で、毎日ミルクティを呑んだからである。大バラサーブの威厳?は本日も守られたわけである。
 カッチャルの荷物隊はダイレクトに奥田達のサリブンBCへ出発。2時間ぐらいナムタコーラ(Namta Khola)の右岸にあるトレイルを進むと着くだろう。ここのカシ放牧の男もゴラ・ドライバーの男もヤラ村、ダラ村の人達は目的地をブリクティBCと呼んでいる。がしかし、このダモダール・ヒマールの北の方は、全てブリクティと彼等は呼んでいる。で、本来の正しいBCは、このナムタ・コーラ本流の氷河末端である。2000年のBhrikuti Sail 6351mへ登ったという、東京の石井清君達のパーティはここをBCとしていない。この事は後日に記す。
 テント場から、背後の河岸段丘の崖に向って進み、崖中のトレイルを斜上する。と、とてつもない広大な高原に出た。ここからケルンらしきものは何も無くて、凹状に切れ込んだデェーチャンコーラを左手に見て進む。数色のブルーポピーがあった。コンパスグラスで東のチベットの雪山を目指して進むとデェーチャンコーラ上流の支流が現れて、一旦川床へ下る。北西にDamodar Kuda Dadaの6087m、真北にDamodar Kunda Kholaの流れを過ぎてGaugiri 6170mらしき真黒な山、西側の頂上付近に残雪があるが、こんな山にアメリカ隊がこの春に本当に登ったのだろうか?南西稜からなんだとう…・・??。真黒なんだけどなぁ…・・。こんな山へ著述業のM.N氏が何故か雪男探検隊と称して、僕達のあとを追って登山するらしい・…?。同じく秋に東京の石井清君も来るらしい…・。まあ、他人が好きなことをするのを干渉するのはよそう…!。
 北の広い高原に大きな動物がいる。とアンプルバ、パサンディキとゴラ・ドライバーの二人が叫ぶ…。「バラサーブう!カメラ!カメラ!」とアンプルバが叫んだので手渡した。「あれ?ナンなの…?」「フム……?」「ナンなのでしょうね?」「イエティ・…?」とアンプルバ「ミディ・・…?」とアンプルバ「ヤクより大きいなあ・…?」とゴラ・ドライバー「ゴラより大きいなあ……?」とアンプルバ「ナンじゃ?あれは・・…?」とタイフーン「クマちゃうの・…?」とタイフーン「まあ何でもええやん・…?。ところで写真撮れたかあー」「撮れマヘンでした」「何しとーーん、アホ!」「逃げよりました」で、これは何か解らんけど写真に撮れませんでしたので興味は深々…・・。真東へ進んで、GPS5547m N28 57 735 E84 14 599 Nale Kholaを渡る。真黒な流れは南のBhrikuti Sail峰の頂上から北側斜面を直角に国境が曲がり、東の峠Lugura Bhanjyang 6147mとその東にある6899mへ伸びる氷河末端であった。流れは真黒な水で冷たい。
 氷河末端のモレーンを上がるとポカリがあって、ヤラ村のゴラ・ドライバーはここがサッカリ・ダモダールクンドと言ってモレーン上にも二つのポカリがあるから…、そこへ行きましょう。と僕達を促す。「サッカリ・ダモダールは、あの北へ流れるGaugiri峰の西にある…。それがサッカリ・ダモダールやろう」と僕とアンプルバ。「あそこは、ACAPの調査隊が行っただけで誰も行ったことない」とも答えた。
ここから、東へは6899mの真北6090mの北斜面を横切るのだが雨が降りだし踵を返すことにした。北側国境の峠、Thapulghocha Bhanjyang 5576m はダダ広い高原にあってここからでは指摘出来なくて、ケルンらしきものも見えない。2時半、遅い昼食のツァンパを食して、往路をひき返し途中の小沢を遡り、5400m N28 57 449 E84 12 257から河岸段丘の軟らかい砂斜面をマイタ・コーラの川床目指して急下降して、4時前に奥田達のサリブン峰BCへ、彼等のキッチン・スタッフに迎えられて到着した。一時間半後奥田、小林がハイキャンプから下ってきて合流する。
 ハイキャンプからサリブン峰のアタックをかけたが頂上、北のコル6042mで3時間頑張ったが天候悪く登頂を諦めたことを聞く。ネパールスタッフ一同は差入れカシ肉を全部平らげ、奥田達の夕食の頃には疲れてタイフーン就寝。
 
ナッカリ・ダモダールクンドのキャンプ背後の河岸段丘へ上がると広大な高原に上がった。
アンプルバとパサンディキが先行するタイフーンを追いかける。
「お前ら、早よ来んかいな」段丘下からガスが吹き上げる。
 
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広大な高原の中に凹みがあって、チベット高原独特の川の風景に驚嘆した。
左のガスが出る前に巨大な動物を見る。Gaugiri峰6110mは雲の中で、
ガスの中はDamodar Himalと中ネ国境地図、新地図とも記されているが、Gaugiri Himalの方が間違いが少ないと思う。
雲の中には東に6044m、6004m、6013mの3つの6000mの山が並ぶが雪は殆ど北側にあるのみ。
 
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さらに東へと進むとGaugiri峰に続く、チベットの山なみが続いている。
左の谷は国境の西に北へ流れるDhechyang Kholaの最原頭の谷で6019mが見える。
真中の懸垂氷河を持つ山(E100)でチベットの山(標高不明)、
右の蟹の甲羅の雪模様はチベットの6297m(E112)であろう。
ぼちぼち国境を越えつつありますかな…?
 
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Bhrikuti Sail 6361mのチベット側には北に真直ぐ6.5Km表記の氷河がある。
1979年の中ネ国境協定附属地図が出来た頃の地図では南北に真直ぐ大きいものであったが、
今では後退してしまい、モレーンが2.5Kmぐらいはあるだろうか、その中に写真のポカリはあった。
水は澄んでいて、所々真青なブルー色をしている。
ヤラ村のゴラ・ドライバーの男は「どうじゃー、おっさん不思議な色やろう」と言った。
アンプルバと僕は「アホ!ありゃ氷河の氷や」パサンデッキは「パパ!不思議やねえ」
「写真撮っときや」とダンナに叫び「ハイハイ!解りやした」とアンプルバは答えた。
 
右の氷河末端はBhrikuti Sailの北側氷河で左は6899mへ北西に突き上げる氷河。
 
マイタコーラ川床目指して川岸段丘、下り口から西方を見ると
ナッカリ・ダモダールクンドとマイタコーラの流れが一望に出来る。
 
サリブン峰BC(ブリクティ・サイルBC)から往路を見る。右端の河岸段丘を左斜めに
崖上斜面下り、マイタコーラへ降りて流れ右岸をBCに来る。
 

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