LIMI's Growth Diary(5th,Oct No.1

僕は8月12日にバラサーブ・タイフーンさんと共に、RAの特別 室で、大都会の大阪に来ました。 チケツト代はネパール人とほぼ同じですが、食事は出ません。ウイスキー、ビールも ・・…。

36日間も関西空港動物検疫所で暮らしたのですが、好物の「うんこ」を食べさせて ・・・・と懇願した バラサーブの意志に反し、検疫所のやさしいお姉さんは、アメリカ製ドツグフードを 食べさせ、 散歩もしてくれましたが、世界各地からきた犬達の匂いと吠える言葉は僕には全く理解出来ませんでした。

9月17日、バラサーブ・タイフーンと再会しました。すぐ自動車に載せられました が、車酔いしまして気分が 悪くなりました。歩いて行きたかったです。大阪狭山のバラサーブのお家は好待遇で ある。と諭され、 やや強制的に僕をザイルで括りました。

私の生まれたところは 極西北ネパールのLIMI KholaのJang(ザンと発音します) という所です。そこはめったに外国人は来ません。ある日、見知らぬ男が来て、僕の 主人は彼に僕を 身売りすることに同意しました。主人の懐には2000Rsが入り、買いに来た男にも 2000Rsが入りました。 シエルパ族とかいう男達に連れられて・・…。この時、僕は生後3ケ月で幼くてよく 状況が良く呑みこめませんでした。

そして、2時間上流のTakcheという放牧地で怪しげな男達とOBAHANsが話し、笑い、 良く食う女性達と出逢い 、彼らは聞いたことのない言葉を操っています。「ジャパニ」とチベット語で話して いる人達が彼らのことを教え てくれました。僕は訳の解らないまま、ひとつのテントへ連れていかれまして「バラ サーブ」とかいうおっさんが 何故か「こいつを名前をLIMIとする」と宣言して「ハハハハ!」と笑い、失神状態で テントの奥で横になりました。 「タケ!アンプルバ!ツルジム!大切に育てるように・・・」とも言いましたが、これが日本語を喋る連中と バラサーブ・タイフーンと無理やり付き合うきっかけとなりましたいきさつでありま す。

それから、何が何して、どれがどうして、どこでどうなったか? ・・・・・・・・ かくかくしかじか・・…! 彼らに連れまわされ・・・・、ここはBCだの?ここはハイキャンプだの?といっては 「お山」の上の方へ出かけて行って、僕は一人留守番をさせられておりました。

こういう訳で、急に機嫌が悪くなったり、良くなったりするバラサーブのおっさんの 周辺で暮らすこととなりました。 「これは若干、エライことになった!!!」と気づいた時は既に遅くて、カトマンズ の得体の知れない所に繋がれ、やれ注射だの、ミルクだの、シャワーだの、散髪だの、食糧だのと初体験を強制的に させられて・…。 8月12日の深夜、僕の身体はフワアーと空中に舞い上がったと思うとやがてウトウト していましたら……。 「わあー!犬がいてまんがな」 「ワアーごっつい犬でなあー」という妙な言葉を発する男達が僕を空港の荷物カウン ター前に連れ出しました。 知らない犬も近づいて来て「お前はん!ハシシ持ってへんか?」と聞きました? 「……?バラサーブにお聞きなさい」と答えましたが、妙にクンクン匂いを嗅ぐワン ちゃんでもありました?。

大阪狭山では、多分そう思いますが良く解りませんが、近所の犬たちの行動は?庭を走り回っているだけで、 外に出て「お散歩」などはしていません。 僕は幸せ者で、朝早いバラサーブ・タイフーンは4時50分から「お散歩」に行こう ・・・と言います。 最近のバラサーブはお尻のお調子が今一歩らしく、チョウー悪い様子?。朝は自転車に乗って出かけます。 それ「おしっこ」「ウンコ」だの言いますので、いいなり状態でそれらを仕方なく やっております。うるさく言うもんで・・…。 20分間全力疾走でバラサーブは自転車を漕ぎますが…。これって全力?これつて疾 走?と疑問附が付くほどで、 私には軽あるーいジョギングです。 僕は余裕で帰宅するのですが、超疲労困憊気味のバラサーブは「ゼイゼイ!」言いつつも6時にご出勤なさいます。 なんか苦悩があるのか?無いのか?毎日このパターンは崩しません。

午後6時ジャストに奥様が、6時45分には、バラサーブお帰りになりまして、毎夜、 自分たちだけビール1本、 日本酒1合をお召し上がりなりまして、「お散歩」に僕を連れて、ご夫婦で大阪狭山 の住宅街を歩きます。 バラサーブの前を歩くと「コリャー!」と言います。奥様の純子さんは「ヒヤー!」 と叫びます。 最近、やっと「LIMI」と僕の名前を奥様は覚えられました。僕にも少し慣れてきたみたい。 娘のまどかちゃんも時々「お散歩」に連れてくれますが、彼女は非力なので僕の方がリードします。 息子の「つー君」と呼ぶ男の子がいるらしいけど、一度遠くの窓から目を会わせただけで、姿形は見ていません。 彼はどうも僕を苦手としているみたいです。そんなこんなでバラサーブの家族の一員として迎え入れられました。 まあー何とか暮らしています。僕は今、ふるさとのLIMIを忘れるほど波瀾万丈の犬生を迎えようとしています。 大阪弁の世界、大阪の町、大阪の空気に慣れるか?あとしばらくはかかるでしょうけど、おいおい報告をしますのでご期待を頂きたいと思います。

僕は10月10日現在で7ケ月の子犬です。 母は子牛くらいの大きさで体重80Kgです。
チベツタン・マシチーフの種族でありますが 親、兄弟は羊やヤクなどの放牧のときに ご主人のお手伝いをしたりしています。
極西北ネパールのチベツト国境の近くにタクチエ・コーラという河はフムラ・カルナリ川へ支流となって流れ込むところです。
高度約4000mのところで暮らしていました。 バラサーブ・タイフーンに連れられて大阪狭山 に住む軟弱な犬どもに「渇ーつ」を入れて、
この 付近の独裁的ボス犬に君臨するよう育てられて います。どうぞ!よろしく!