4月30日 ミンマヌル、カンチャ2名でABC荷上。食料5日分、テントマット、9m/mメインロープ2本、シュリンゲ20m、竹竿、個人用マット、ツェルト、 ランタン・EPIヘッド各2個、アルパインストーブ2個などを上げる。 メンバーはBC休養日。 吉永達、ガムガディ村下の川原のバッタ・チャウル(Batta Chaur)の橋の広場でテントを張る。 5月 1日 7時15分、全員で個装と食料などを持ってABCへ上がる。ペースも早くなる。 相変わらず大西、柳原はビスタリムードでゆっくり登る。アイスフォールは左側のモレーンが続いている個所から、岩棚へトラバースすると氷河上に簡単に達する事が出来る。12:00アンプルバが2mはゆうに掘ってトイレをこさえた。 午後からガスが出てきて雪も舞だし、早々に就寝。 吉永、大津の二人は1時間半の登りだけで、本日はガムガディのロッジに宿泊。 5月 2日 アンプルバ、ミンマ・ヌル、カンチャ・ダワ、のシエルパ3名。大西、谷口、柳原の3名でコルの右、すなわち南側の6328mのピークに登るべく6:00出発。チベット側へ越えて、といっても50m登るとダラダラーッと緩やかにチベット側というべきか? 氷河が果てしなく続いていて、ここがチベット側に越境している。 実感なんかなく、ただ地図上で国境の線を引いてある所らしい。 と言う状況の氷河上を大きくトラバースして右ピーク(今後そう呼ぶ事にする)へ。 谷口と柳原は真横にトラバース。 私とアンプルバはどんどん下って尾根の北斜面の雪原、傾斜が40度ぐらいの所へ着いた。 彼らとシエルパ2名を呼び寄せて、「おーい、ここから登るぞ」と叫ぶ。 先ず柳原がめずらしく先頭をきった。つづいて谷口、シエルパがつづく。 どんどん彼らは進んでいくが私はゼイゼイ、ゴボゴボ、遅々として進まず尾根上に出る手前でリタイア。アンプルバと二人下る。 彼らはそのまま進み5800mぐらい、尾根が水平なり再び小ピークへの登りの所まで行って、降雪と時間切れでABCへ戻る。 吉永達は本来ここでスティしているはずのリエゾンは早々にカトマンズに戻っていて会えず、ララ湖Rara Lakeへの道を行き、湖からすぐ左の道、東側に出てピナ村(Pinna Gatta)の下の水場に泊る。 5月 3日 昨日より1時間早く出発して、谷口、柳原、ミンマヌル、カンチャダワの4名で昨日の到達点より上部6100mまでルート工作、FIXを5本張るも天候悪化でABCへ戻る。 大西、アンプルバでコル左、すなわちコル北側稜線上の6206mのピークへ。 ABCから氷河を北上すると南東側に1本氷河がせりあがり、真っ直ぐ登る。 5600m付近の雪原でアンプルバがヒドンクレパスを踏み抜く。すぐ続いていた大西の右足が危うく落ち込むところだった。アンザイレンをして50度ぐらいの雪壁を直登して 5850mの雪田に出たところまでで、天候悪くなりだしABCへ下る。吉永達はグッチ・峠Gurchi la 3550mを越えてチョウタChautaのロッジ泊。 5月 4日 ABC全員、休養日とする。大西、カンチャ・ダワと二人BCに下る。 途中荷上ポーターのゴラ・バハドールと行き交う。1時間半でBCに着いた。 充電十分の衛星電話で我が家とカトマンズと通話。 吉永達は14:00激しい降雨でダンプェ峠Dhanphe Pass 3550m手前最初の峠小屋で泊る。 5月 5日 衛星電話はこの日から天候が悪く、日照時間が短く充電出来ず、移動中もまったく出来なかった。充電容量に問題があるかも知れない。ちなみにデンマーク製ミニM衛星電話TT3060でKDDインマルサット・ミニーMカードは使用したが通話不能だった。 通話料は1分間3ドル、1月合計使用料を1ケ月後に日本からドル送金支払いした。 ABC3:50出発。谷口、柳原、アンプルバ、ダワヌルの4名でアタック。 北稜取付5:00、ラッセル跡を辿り、稜上のデポ地7:20、ここからアイスバーン化した雪稜。谷口のチタンアイゼンのツァッケ1本欠ける。 昨日の最高到達点に8:30 ここから頂上へのルート工作、ミンマヌルはここでリタイア。 3名で7ピッチ、フィックスロープを張る。 11:50頂上は目の前、残りをスタッカットで12:32頂上に立つことが出来た。 南西稜へは岩稜となり、南壁は切り立っていた。 南側の目の前に見えるはずのカンティ・ヒマール峰はガスの中に隠れていた。 GPS測定値6328m N29.48.867 E82.44.227であった。 懸垂下降から同ルートを下り15:50 ABCに帰幕。 ベースから登頂を大阪の娘に電話を入れる。 吉永達、ダンフェ峠Dhanphe Pass 3550mを越えて、14:00ジュムラ着空港前のロッジに泊る。 5月 6日 コルの左ピーク6206mを登るため、谷口と柳原は5時48分ABCを発つ。 9時35分登頂する。GPS測定6135m N29 50 345,E82 42 628 頂上から、カンティ・ヒマール主峰と周辺の山を写真に撮る。地域的な概念はこれで解るだろう。 11:50ABCに帰幕、直ちにシエルパと撤収して15:00BCに到着した。 日本、カトマンズへ報告通話。 吉永達は10:00発ニコンNECON AIRでネパールガンジ経由カトマンズへ帰る。 夕方にはカトマンズでレストラン富士の日本食を味わう事が出来た。 5月 7日 BCスティ 5月 8日 BCスティ 5月 9日 メンバー3名、カンチャ・ダワ、ゴラ・バハドールはナムジャ峠Namja Bhanjyan 4986mヘ向かうためBC8:20を発つ。 アンプルバもムグへポーターとドンキーの雇用のために下る。 BCの留守をミンマ・ヌル、ミンマ・テンジンが。 BCへ入った時に比べると積雪は昇華していて殆ど消えている。 TBCでコックが作った弁当を食って、冷たい風を正面に受けて急坂を下り プラノムグ15:35到着。広河原の草地にテントを張った。 |