北西ネパール登山隊の記録



5月10日
5名でムグ・コーラを遡行、トレイルは立派に整備されていて歩きやすい。チベットとの交易や人の交流が盛んな事が解る。すぐ左岸にコジチュオン・コーラ(Kogichwon Khola)の出合、相変わらず岳樺の大木の樹林帯が続く。1時間程で右岸にタンキヤ・コーラ(Tankiya Khola)の出合。出合の左の日陰に立派なアイフフォールが架かって谷は狭いゴルジュとなっている。BC付近から見た上部は雪原が続いていて西の谷タンケ・コーラanke Kholaへの接近路として入谷すれば良いだろう。と吉永は考えている。ゴラク・ヒマールGoraku Himalやチャングラ・ヒマール(Changla Himal)への未知な山塊への路として、ぜひ来年は挑みたい地域でもある。


この出合の丸太橋を渡るとムグ・コーラはゴルジュとなっていて、岩棚にも立派な路がつけられていた。急に谷は広くなり、草地の広河原が次々と現れ、さしずめ日本庭園の様な光景が心を和めてくれる。


前方に障壁のように国境稜線の6000m前後の峰が見えた所のお花畑でテントを張る。
岳樺の倒木が多くあって、 交易の人々が泊った跡であろう痕跡があちこちに残っている。
谷口が珍しい岳樺のコブを4時間もかけて嬉しそうに採ってきた。
遅くまでネパールでは珍しくキャンプファイヤーを楽しんだ。




5月11日
昨夜のムグのアンプルバとの交信で、選挙がありムグポーターをBCへ上げられない。
様なことを言ったので柳原を降ろす。ゴラ・バハドールにはチャンを買いにやらせた。
9時、谷口と二人峠へ出かける。清流と草地が美しい谷にネパールで初めて会った。
ランタン谷が美しい。と言うがそんなの問題外。日本で、カナダ、アメリカ、ヨーロッパでも、こんな奇麗な景色はない。と思う。谷は岩を深く抉り、ゴルジュになっているが左岸、右岸とも山側に広く開けていて積雪の所を簡単に進める。
やがて大きく左に屈曲する谷筋。風も一段と強くなりだし峠が近い事を示しているが、近くの山はチベット独特の丸い山容となり、進むのをやめる。
「もう、降りよう」と踵をかえす。途中大きな岩小屋が沢山あり、人の泊った気配が多数あった。中国酒の瓶がゴロゴロ転がっていた。
テント場に2時前着。早速焚き火をする。夕方、ゴラ・バハドールがチャンを持って現れた。
ムグ・ポーターとの交渉もアンプルバはうまく解決して今日TBCに向かった、柳原は本日ムグの民家泊り。と彼は報告。



5月12日
ナムジャラ方面の偵察も終えプラノムグへ降りる。
夕方にロキシーの土産を持って柳原がムグから上がってきて、暗くなってからシエルパ、ポーター達が集結した。



5月13日
ムグ・ポーター8名、ドンキー12頭と共にムグへ下る。




5月14日
ムグにデポしてあった石油60リッターの内、半分をポリス、ドンキー頭のおばさんにあげる。この辺りは入手が難しいとポリスのヘッドが言っていた。ランプに使うとかである。その外ビスケット、調味料、粉類を寄付する。
7時前にムグを発つ。休みなく歩きチャングー・コラーへ2時間。再び走る様に下りタラ・コーラで昼の弁当を食って、ドンドン下り雨の振りだしたラングーコーラ出合の新築中のゴンパ前にテントを張る。暗くなってドンキー、ポーター到着。



5月15日
早朝に出発。右岸の路を黙々と歩く。休憩は昼の弁当を食って、身体を洗って大休止しただけ、ムグ・カルナリ本流へ下るスンガダラの吊り橋手前の広場でテント泊。



5月16日
だんだん標高が低くなり日中は暑い。ルムサのテント場では子供達は川で水泳、女達は洗濯で村民総出といったところ。再び夢中で歩き通しバッタチャウルの橋で谷口と洗濯、水浴、残ったビールを呑み、ガムガディへの急登を喘ぎながら1時間、村の学校横のヘリポートに到着。谷口はロキシーを店で呑み酩酊状態、それではと私も出かける。
遅くまでテントの周りは村民、子供たちに取り囲まれた。




5月17日
村では地方選挙があり学校は朝早くから、ボランテァの外国人選挙管理人数人が集まり、村の選挙関係者らしき人物が集合していた。そんな中、谷口とコック、カンチャ・ダワ、ゴラ・バハドールとムグ・ドンキー頭6名でララ湖への路を急ぐ。
柳原と他のシェルパは2日でジユムラへの隊荷輸送班を編成の2パーティに別れる。
二日酔いの谷口、大西はピッチが上がらず、昼過ぎにララ湖畔に到着。
軍隊駐屯場と国立公園公園事務所を過ぎたキャンプサイドでテントを張る。
シスネ・ヒマールや北のゴラク・ヒマール辺りだろうか?ぼんやり姿を見せたのもつかの間、雷鳴が轟く。


5月18日
湖の水は奇麗だが、この景色に感慨深いものを感じずグルリと一周してピナ村へ下り、大きくトラバース気味にグッチ・ラへの登りにかかるが、全員暑さでグロッキーとなり、峠手前の麦畑の横の広場でテントを張る。



5月19日
2時間ほどでグッチ・ラの峠に立つ。チョルテンと草原の気持ちのいい所。
一気に草地を下り、樹林帯から公園事務所のある初めてのバッテイで茶を飲む。
川沿いを下るとチェツクポストのある村チョウタ 。ノートには吉永達が記されていた。
シンジャ河Shinja Kholaの右岸の高巻き道を上がり、山腹の畑と小さな村を通り、河床に降りると、清流が奇麗な小石にグリーン色に見える。カルカ横を通り、洞窟の中にあるバッティが2軒目の茶屋カブラである。清流横の道を歩くとロッジ2軒並びすぐ丸太橋あり、手前の河原でテントをはる。鶏2匹購入する事が出来た。




5月20日
ドンキー2匹が行方不明。我々には関係ない。と今日の登り時間4時間の方が深刻な問題である。
丸太橋を渡ると後は延々と登りが続く。樹林限界を過ぎ草原状となって一軒家のバッティに出た。尾根横の路を行くとシスネ、パトラシ、カンデ・ヒウンチュリーらしき山々が手に取るように見え、ダンフェ峠に立つ。眼下遥か彼方にジュムラの街と空港が見えた。
全く気の遠くなるような下り一方の路をジュムラへと急いだ。
柳原達は空港前の空き地にテントを張っていて、カンチャ・ダワをすぐにビール購入に街へ走らしたのは言うまでもない。




5月21日
夜半に乾いた広場に雷鳴とにわか雨が降った。空港へ柳原とアンプルバにチャーター飛行機の折衝にやる。選挙の為にネパールガンジは閉鎖されていて、ここからも飛行機に乗る事は出来ない。と一見「わたし責任者風の男」がわめいたがアンプルバに金次第でどうにでもなる。と言って「でも、出来るだけ安く」と付け加えた。スルケットまでなら600ドルでチャーター出来る。と答えが返り荷物を空港へ運ぶ。何やら空港会社と中に入った手配師風若者の間でゴタゴタがあり、結局800ドルでツインオッターをチャーターしてスリケットへ飛ぶ。ここからは来しなに寄った時にカトマンズ行バスがある事が解っていたので18000ルーピーでチャーター大型バスに乗り翌昼カトマンズへの20時間のタライ平原横断バスに乗り込んだ。

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