4月21日 テント場を6:45出発、30分でタラ・コーラ出合。鉄橋と右岸の崖に新道がオランダの援助で、ほぼ完成されているが道は橋を渡り左岸の樹林帯を行く。 ゴロゴロした岩の登りから丸太橋を右岸に渡るとチャングー・コーラChhang Kholaの出合で、ゴルジュと大岩壁が入谷を阻んでいるようだ。ゴオ・ラGhola pass 5182mへの道は右岸沿いにあるようだ。出合は広河原になっていて放牧場になっている。再び針葉樹と岳樺の広葉樹が入り乱れた樹林帯、時々カルカも現れ、谷は大きくU字状になって広々とした風景となる。 背後にシスネ・ヒマール最北端の5000m級の雪を抱いた岩峰が見える。 13:00 左岸の押し出しに新しいトタン屋根のゴンパ。 5分咲きの桜の咲く家の前を通り、カルカと大岩の上のチョルテンを過ぎ段丘を超えるとチョルテンが河原に現れ、ムグ村の入り口。 15:00村の入り口の河原の草地にテントを張る。 4月22日 夜半にパラパラと降雨。本日はムグ村スティ。 吉永、大津、柳原はポリス・ステーションへ。 200mほど上がったゴンパへも訪れた。ムグ・コーラの名称はここ最奥の村称で人口600人とポリスは言ったが、大半の男は出稼ぎに出ていて村を守るのは女子供。 子供達の服装はやけに都会風でGパン、Tシャツ、野球帽後ろ手に被り、数人会った青年も同様であった。しかしそれも数人で大方の子供達はネパールの山村の衣装で、女達はシェルパの服装に近い。ムグのカルチャーについてはHimalayan Traders:Christoph on Furer-Haimendorfに詳しく載っている。 4月23日 ムグ村8:15発 村外れのポリス・ステーションには真っ黒のチベッタン犬が恐ろしい唸り声で迎えてくれた。ポリスの若いのが急いで門の中に追いやってくれた。 村の女の子20名近くと一緒に歩く。みんなはプラノムグ手前の樹林帯で倒木の燃料集めである。桜草に似た丸く花びらが集まったピンク色の花の群生の広場。 遥かかなたに我々の登山申請の山、パトラシ・ヒマールと一段と立派なカンデ・ヒウンチュリー Kande Hiunchuli(6627m)が聳えていた。 右岸に滝状に急流が落ちる谷アインジャム・コーラ(Ainjam Khola)の出合で大休止。 再びゴルフ場のような草地の広場と川の流れは美しい小川のように変身して我々を和ませる。 プラノムグ(旧ムグ村跡の意味)に着く。岳樺の大木が周りの山々に生え、草地の桜草に似た花の群生、ヤクの放牧と日本の北アルプスの様な前衛峰に、ここを訪れた喜びに満ちた。 ムグ・ポーターと10名入れ替え、ドンキー2頭を新らたに雇用。この広場で幕営とする。 小川でポーター、シエルパ、メンバー水浴、洗濯。 4月24日 5時起床、6時出発が7時となる。すぐ丸太橋を渡り岳樺の樹林帯を川下に下りコジ・コーラ(Kogi Khola)の出合。 ここから谷の右岸を急登して尾根の鼻のチョルテンに出る。 出合から谷はゴルジュが続いていたが。ここから広く開けた谷となり左岸の方に5000m級の山が雪をべったり付けていた。 トラバースの草付きから二つ目の尾根の頭に立つと目の前にカンティ・ヒマール峰のネパール側そっくりの山が堂々とした姿を現した。 全員注目!「あれこそ目標のカンティ・ヒマール峰だ」と感無量である。 「こんなに近くにあったんかいな」とも。 Pm3:30 やや左に谷が曲がっている草地4370m N29 46 40 E82 35 20にテントを張りTBCとした。 4月25日 日程的に吉永、大津はここまでで登山期間終了となる。今日は出来るだけ上部へ行って景観を楽しんでもらう。写真を撮る目的で大西と3名谷を探る。 谷口とアンプルバ達シェルパとポーター全員BC予定地へ上がる。出来れば4700mの辺りにある湖にBCを設けたいのでアンプルバと地図で位置を確認した。 3名は4420m辺りまで登り、コジ・コーラ源頭の懸垂氷河を望見出来る所まで上がった。 5721mのこの谷で始めて見えるピーク(我々はにせカンティ・ピークと呼ぶ)ピークの真横まで進み、源頭のコル右の6328mピークがやけに三角形の尖ったピークに見える姿に感動しつつTBCに戻った。柳原はTBC裏山の5300mの岩山に登り順応する。 谷口達荷上隊は予定の湖の下のサイドモレーン4650mにBCとして荷上を終え、シェルパ達を残してTBCに4時半帰着。 4月26日 降雪があり、テントの周りは5cmの積雪。ポーター達は養生シートに車座になって泊り寒い朝であった。ジュムラから3日、グムガディ・スティ1/2日x2日分、グムガディからBCまで8日分、ジユムラへの帰路5日分、合計18日分x250Rsプラス、ボクシスを支払う。 サーダーから受け取り三々五々帰路に就く。ムグポーターは今日はスティで明日、ドンキ3頭でBCに荷上げ。 BCではミンマ・ヌルが荷物番。 一日中、ガスと降雪の寒い日であった。 4月27日 7時半、ガスのかかるTBCを吉永、大津と2人の個装と食料を持つジユムラ・ポーター3名が下山。9日間でジユムラ到着予定である。 大西等3名はムグポーター達とBCへ向け出発。 13:15 BCに到着。BC手前の水流が降雪で隠れて、ツボ足のズックではずぶ濡れとなる。 吉永達はムグ着15:00 4月28日 BCオープンセレモニー、貧弱ながらもマニフラッグをテントの周りに標す。 終わってから谷口と柳原は上部偵察に出る。 吉永達タレ・コーラTale Khola出合のやや下流でテント。 4月29日 7時45分、谷口、シェルパは荷上げで先行する。8時、大西、柳原出発。 早朝、降雪はクラストしていて快適に水流の上、湖の上を歩ける。 10時30分にコル下の岩棚の上からモレーンを歩くが、ボソボソと潜る。 歩きづらい事この上ない。先行パーティも難渋していた。12時半先行パーティはABC予定のアイスフォールを越えた氷河上5230mに達してデポ。 コル下にいた我々と合流してBCに下る。14:50荷上品:8人用、6人用ダンロップテント各1張り、FIX8mm/50m 18本、プロパン5KGを2本、スノーバー14本、チタン・アイススクリュー14本などと個装。 吉永達はドンゲダラDunge Dhaka左岸の畑でテントを張る。 |