8月4日

7月2日 Lapche Banjyangへ出かけた。峠の手前でキャンの群れがいた。

岩多く明るく、そして太陽に輝く、たとえばエオゼの海岸のような入江に富んだ 海岸に住む偉大な知能の人々は、その環境の対象物がすべてくっきりして いて、客観性が強いから、瞑想的な心の働きはおとろえてしまう。 その結果 、こういう所ではパルテノンのようなものしか考えられなくなる。 調和と単純とをめざして明るく輝かしい思考によってもたらされた一つの文化 から咲いた花のように、パルテノンが聳えているのは、当然の結果であろう。  無条件で、このすべてをチベットに当て嵌めることが果たしてできるだろうか。 ここチベットは、広漠とした石の多い土地だ。太陽の王国だ。 この国では、カン・リー(雪の山)の氷と砂漠の峰々以外さえぎるものはなく、 来る日も来る日も、風が吹き通している。ここでは雨も降ることはまれで、 霧も極く少ない。森もないところだ。全てが、最も純粋な合理性と、調和のある 静かな思考との、見事なシンボルのように感じられる環境だ。  ところが、ここに住んでる人々は、彼らを取り巻いている自然と同じような内面 世界には、だれも生きていないではないか。巧妙な欺瞞的理論家よ。 君方の三段論法的牙城は、チベツト人の精神に触れる度に、無残にも打裂けて しまうことだろう。

フォスコ・マライーニ著 「チベット」(そこに秘められたもの)よ り。
牧野文子訳 1958年7月:理論社


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痔が悪化して歩けず、ラプチエ・バンジャンを目の前座り込んでいると 西側のとてつもなく、
広く開けた大草原をキャンが逆光の陽に向かって走っていた。 その数40頭ぐらいが凄然と群れて駆ける。
やがて風とともに小くなり、国境の向こうへと消えて行った。 乾いた風がさあーっと吹き抜けて行って・・・・・・。
静粛さだけが残った。 透明な藍色の空は、私達の進む国境峠へと消えている。
荒涼なチベットにはキタローの音楽が似合うとある人は言うけれど。 僕は、津軽三味線の音色、それも高橋竹山がいいなあ。
静粛の中に人の匂いがする。 動物の匂いがする。 そして仲間の匂いが強烈にした。 峠はすぐだった。
向こう側のチベツトは慧海師とヘデインが歩いたTage Tsangpoである。
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