7月27日

7月27日 Chimsa−−Talung
Chimsa、インデアンマップ 1967年 1:50000には Salll Kholaとエルが3つもついて、上流がChhungsa Khola となっているが地元の人達はChimsa Kholaと呼んでいる とアンプルバは言った。Chungsaともいうらしい。 すぐ下のフムラカルナリ河は十字峡となって南からSaipal 北面からKhawa Libgba(Khola)の流れが入っている。 正確には少し東で合流していて十字峡ではない。
Chimsa Khola出合上流のこのキャンプから200m上に チョルテンがあって、そこから私達は入谷して出発したので 振り出しに戻った訳だ。このキャンプから’97年HAJ隊の 野沢井達が入谷したフムラカルナリ川右岸のブツシュのガリー が目の前に見えて、その時同行したハリーが状況をくわしく 語ってくれた。

 
Yarbangの村から再びフムラカルナリ河に降りると広い草原状 の河原を歩き急流の崖に路がある。
以前は木の支柱でこさえた 恐怖の路と記述にはあった。もうひとつある。
もうひとつが河の右岸から落ちる滝の前の左岸にある。 これから進むので皆んなで「あそこでんがな」と確認中。
この辺りからフムラナルナリ河は堂々たる流れとなつて フムラ デスクリツトを横切る。
KermiからTalung、そして大苦闘の900m登りでSimikotまで この大山肌の路を行く。ズーツと見渡せるのは良くない。
あんな所まで、まだ行かなアカンのかいな。が解るのは最悪。

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