6月27日
Taisolu Kholaを遡るのもビスタリと疲労蓄積のないように歩いた。 大きなU字谷は、殆ど高度を上げずに、正味3日半の行動と
なった。 東のNing Kholaとの分水嶺となっているN30 21 10 〜N30 20 45 の間とN81 52の経度ラインが目の前に迫っている。 5346mから左岸の谷に入り、東側のサイドモレーンを上がると、 このTaisolu Kholaの由来となるTaisolu Talの湖面の氷が少し 解け出して流れ出る源流となっていた。 自然のロックフイルダムの真中から漏れて水が流れを作り。白砂が広場を作り、快適なテントサイトを提供していた。この湖は楕円形 で一辺が700mと300mの大きさ。ここからだと6125mピークは見えない。
むしろ湖の西南側にピラミダルな6038mがこじんまりした姿で我々を迎えてくれた。本来の源流はここから北に国境の丸い山 6016m,5964m,6026m,6069m,6024mの五つの山へ入る谷の方が 水量が多い。

 

左下の凍てる湖から下の広場がキャンプサイトで、Taisolu Kholaは真西に流れいる。
奥正面にナムナニがドーンと聳えている。 DVCのズームでネパール国境の丸あーるい山々を辿るが・・・・・。

Mt.Namunani by zoom
ズームでとらえた静止画像のナムナニ東壁。’98年チャンラ南西峰から偶然、
同方向でこの地点からW281の54Km先にナムナニ。
E101の27Km先にチャンラ南西峰がある。

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6038m peak
翌朝、僕はこの湖畔のガレ場を通り、氷河末端△形のガラ場から氷河に出て左へ廻り込んでコル手前からハイキャンプに上がった。
当初の計画ではこのコルへ南側のLing Kholaから、5700mのコルに出て、 Taisolu Khola Partyと合流する予定だったが、
この南側ルートを放棄。 Taisolu Kholaのみとなった。 6038m頂上から手前、左手に延びるのは北東稜。
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South side of Changwathang 6125m
6125mピークへのハイキャンプから南側を見ると氷結した丸い湖がある。
インド製1:50.000 62F/15 1975地図には、
こいつはあるけど残念ながら 背後の山々は標高記載がない。
多分6000mぎりぎりか6100m級の山で、
この山の背後の南にC/Allenが Thomas W.Webber隊のSmyth隊員が横断 してChanglaを越えて
1864年にS/Hedinよりズーツと前にJema Yang Jung へ達しTsangpoへ到達したというNamelles Kholaがある。
が、しかしこの谷を彼らは通過していないと思う。
前述のStan Armington & Sushil Upadhyay のガイドブツク概念図にある
Tshom Tshoへ入る谷をLing Chuと書いてあるのは間違いである。
いずれ、この辺りからDojam Kholaヘ出て、Ning Kholaへ入り、
再び Taisolu Kholaへ出るルートとNalakankar Highestを登らねばなるまい。
時期を考えてやり直し!やり直し!。 やる事どんどん増えまんがな・・・・。
行くところ、まだまだおまんがな・・・・。
長生きしておくれやっしゃ吉永はん、水谷はん・・・・・。

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