31th.JUL
Am5:00アンプルバはベッドティとゆで卵1ケの朝食を部屋に持って来て、直ちに出発すると言った。小雨降る河原を2時間20分進んでLarjungの村に到着 。鉄砲水が村中を暴れて全壊の民家、レストラン、大きな木材がお家に直撃して刺さっている。村人が総動員で後片付けをしていた。何も出来ない僕達はこの光景を唖然と見るのみだった。昨日の午後2時頃の出来事だそうで、昼間だったので死人が出なかったそうだ。Sokungから新しい吊り橋が出来ていて左岸へ渡る。Leteまで路は続き、昔からの吊り橋を対岸へ渡ると濁流が路を洗い流し、高巻き路となる。Ghasaへは11時半に着いた。とあるレストランのおばさんをアンプルバは急かして昼食のダルバートは1時間半で出て来た。雨は本降りになり出しKapchepaniの上村でお茶を飲んで一休み。Kapchepaniの下村を過ぎた畑の大岩に座り込んで対岸の大滝Roupshe Chara(WaterFall)は増水が見事な水量の滝となって落ちていた。Chhahara手前で右岸に渡り、Danaを過ぎて、軍隊の検問があった。「身分証明書を出せ」という。「なんでそんなん見せなアカンねん」と罵り反抗的態度をとると、慌ててアンプルバが「バラサーブ!ここんところは冷静になっていただかんと」と言い「このお方は、ご高名なる日本の学者で、ムスタンからお帰り途中…」「ヒコーキ飛ばんかったので、ご機嫌悪くて…・」奴もネパール国、軍隊下っ端兵対処法もなかなかのもんだ。物腰低く通過のお願いをしたものだから「行ってヨンロシィ」と相成った。 
Tatopaniへは暗くなる寸前まさに失神寸前に到着。先行したD.V.ライがこの村で一番快適な鉄筋コンクリートのトイレ付き部屋をリザーブしていた。暗くなって3人のポーターも到着。今夜はローストチキン+フインガーポテト+ドゥイタ・チソビヤーの夕食。アンプルバは温泉に出かけた。一晩中雨は強く降り続き、蒸し暑い夜であった。
 
村の入口で水害の被害が一望出来た。石積み壁は全く水対策無防備で無残な姿があちこちに見られる。
「えらい事ですねえ、バラサーブ」とパサンディキが言い、私は「ウーム!」と答えるのが精一杯だった。
「大阪でもタイフーンが時々暴れてこうなるのだよ」
「タイフーンつてコワイんですねえ」とパサンディキは真顔になって答えた。
 
お茶を飲んで、まだ笑う余裕のある内に記念写真をアンプルバは撮った。
パサンディキも笑うが、全く疲れを知らぬ女将なり。
 
Roupshe Chareの大滝は見事に流れ落ちていた。
 
村人は対岸のルンゼに流れる泥水とゴロゴロ落ちてくる岩を立ち止まってみていた。
流れ落ちる横へ数人の村人がいて、いつ一気に鉄砲泥水が流れ出すか解らないのに…。
コワー !
 

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