7月30日
キャンセルフライト八日目。
10時になってもキャンセルフライト発表もなく、一旦朝昼食兼用ダルバートを食べに空港待合室を出て、スノーランド・ホテルに戻る。今日は12時半になって、やっとキャンセルを告げたコスミック・エヤーの職員に、ネパール人が食って掛かり「大騒動となった」ホテルのオヤジ、アナンド・セルチャンに「ヘリがポカラにいるなら呼んで…・」「それはグッドアイデァで!」「1000ドルでっせ」で、僕達だけ空港待合室カウンターに荷物をおいて……、2時半までボケーッと待つ。「バラサーブ、ポカラは雨でアキまへん」「飛んで来まへん」とアナンドさん。「バラサーブ!歩きまひょ」と大阪弁のアンプルバ。「ご子息のハンコのツー君が来まんねんやろ」とも言った。「そやなあ、4日に来よるなあ」「3日には奥田らも…・」で、30分でトレッキング用の服、靴、忘れずに雨具を用意して歩きを開始した。
ホテルの皆んなは「明日は飛んで来るのになあー」「ホナ、また来年!」と誘惑と激励の言葉を頂きまして出発と相成りました。5:20 ツクチェロッジ着。雨が降り出しまして今夜も、ことのほか美味?なタルカリダルバート定食+にわとりを一匹絞殺。
(付録)ローマンタン西、ダンマール近くの登山記録
P6180,Mustang Himal and Source of the Kali Gandaki. Austrian Helmut Burisch and I followed up the Kali Gandaki to where it forks near the Tibetan dorder.The bigger branch flowed from the northwest from the heart of the Musutang Himal. It obviously flowed from the five glaciers that clothe the slopes of the holy mountain,Dongmar.
We followed the stream for two days to where at 5500 meters it emerged in an amphitheater from the glaciers. In 1953, Herbert Tichy had climed Dangmar(6210 meters,20374 feet,now usually called Kangdungmar). We climed P6180 meters(20276 feet), which lies west of Lo Mantang, the medieval-like capital of Mustang. Local people told us the mountain was called Kang Gongola.
Bruno Baumann,Deutscher Alpenverein
This report was AAJ Vol.35 , 1993.
 
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ネパール新図幅 DAMODAR HIMAL Sheet No.2884 01 (1:50.000)
これをjpg.で解像度を落とさなければダウンロードに時間がかかる。
地図をより鮮明にするには、そんなこと無視すればいいのですが、これがまた難しい問題なのですなあ。
時間と電話代。82HAJとあるのは、‘83年 日本ヒマラヤ協会隊のルートである。
5月25日Am4:50CIIIを出て6655mの北北東支稜から雪庇の張り出した痩せた尾根を
アンザイレン8時45分頂上に立つ。そのまま6655mのコルへクレバスに注意しながら下り、
アイゼンの爪が入らない程のブルーアイス2ピッチを越え、頂稜直下の大きく張出した
雪庇を迂回するため、右斜上して50度の4ピッチの雪壁を越えて頂稜に出た。
ここから痩せた馬の背リッジ2ピッチ、あとは淡々とした尾根上を1時間コンテニアンスで進むと
プラトーに出て、頂上へ11時55分ドーム状の頂上に立った。(HAJ年報IIIより抜粋)
石井清君達の記録報告はない。彼からの話では、キャンプを2つ出して北壁を直上して
頂上に達したもの。タンゲからHAJ隊とほぼ同じ行程でベースキャンプを設けた。
奥田仁一、小林知子は2002年7月17日ABCから北の6042mのコルへ出て、
天候悪化でホワイトアウトとなり、登頂を諦めた。コルから少し上部へルートを開いたが、
ヒドンクレバスに落ち込む。OAC:URL―2002
早稲田大山岳部2名は来年の偵察2002年9月上旬、奥田達のABCまで達して偵察を終えた。
これで、ダモダールヒマールの北部山域の解明はなされた。のかな?
 

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