7月26日
フライトキャンセル四日目。早朝小雨が降る、下流の空が明るくなって、アンプルバもカルマもホテルの主人、アマンド・セルチャンも「バラサーブ、今日は飛ぶでえ!」「100%の確立で…」昨夜の特製ケーキを奥田達は食っていたが、僕はお茶だけにした。載れるかもしれない。カトマンズで美味しいもの食べよぉぉぉっと。
 案の上、ホテル前に陽光が降り注ぐ頃になって「キャンセル・フライト」が告げられた。2〜3人の外国人は諦めてポカラへ歩いて行った。下流方面は真黒な雲が出ている。ホテルのTVは、カトマンズやビラトナガール、ネパールガンジなど全国的な豪雨のニュースが流れ、カトマンズ市内で洪水の被害、死人も数人出ていると報じている。
 まあ、本日も諦めて「お勉強!とお風呂を楽しもう…・」自問自答。
夕食は特製春巻きにマッシュルーム・ポテトにタルカリダルバートの定食。
 ここ数日続いた、早朝、太鼓と笛は今日は一段とにぎやかで…、パレードが出て本日は年寄りのおばあさんが騎乗しての行進パレード。「ナンの祭り?だろう」ホテルのおばさんが「右隣りの長男宅へ、、本家のご母堂が84歳のご長寿のお祝いが1週間続いてんだよ」今日は長男宅から騎乗して本家へ。帰りは歩きで長男宅へ戻た。ご長寿も毎日こうもお祝いが続くと「ばあさん、死んでしまいまっせ」と奥田は心配する。二人でお家へ行って写真を撮り、お祝いを述べた。
 カルマのトルボ講座第3日目は
1:ナムコンの殆どの高みから望見出来るチベットの山、パチュンハム峰をカルマはパチュンハムガと言った。ニサルのラマはPhochunahamgoとつづった。パチュンハムガはサルダン、ポ村の人達もそう呼んでいたけれど、西へ続くこの辺りの山塊をパチュムハムガ・ヒマールと呼ばれているために、あえてパチュンハム峰の名称を与えている。もうひとつ、この辺りで目立つピークがパンザンコーラの左岸、ルリ村(ローリ)の300m上にあるシュクツル(シュンツェル)新地図表記も(Sunjer Gompa)となっているのでシュンツェルにしようと思う。ゴンパの背後にある山、僕の1999年のURLでは「ヘコピーク」となっている山を、ニサルのラマとカルマは「Lhako」と言った。「ヘコ?」と何度も聞いたが「ラコ」という。この山も裾野にゴンパがあるくらいなので、この辺りではかなり有名な山で、頂上に大きな四角い岩がある顕著ピークである。これも幾つかの個所から指摘出来たから、慧海師も目標の山にしたかも知れない。パチュンハム峰は6529mあって夏の間、雲がかかっていて見えない時が多い。この「ヘコ」「ラコ」ピークは4898mもあって周辺では目立つ、このピークも名前がありトルボ人達もよく知っていた。余程の悪天候でない限り望見出来るがサルダンからでは前山で見えない。
2:ニサルからKhun Kholaの一本東のMusi Khola上がり、D.スネルグローブ越えた「ムー峠」(モェ峠)の存在が気になりカルマに尋ねた。モェ村からシーメンへ来たスネルグローブ達は「ムー峠」(モェ峠)をOver 19.000feetとインド測量局の地図から記している。口絵写真の背後の山は、彼等はチベット側(東)を撮らずに南と口絵キャプションはなっているが、西の往路を意識的に撮ったものかもしれない。北西方向に頂上を雲に中に隠したパチュンハム峰が写って?いる。同じく頂上が雲の中のツォカルポカン北壁の特徴ある岩壁、カンジェロバ主峰が…?。南にこんな形に頂上が雲の中に隠れるほどピラミダルな山はないし、5月下旬に南側にこれだけ積雪のあるピークはないはずだ。チベット側に出たことを隠すために、彼の概念図では国境へ上がっていなくて、途中からチャンポラ・コーラを下りシーメンへ出たとなっている。口絵写真の前頁の(上)の写真は峠からメストゥトの二俣からラル・バンジャンが写っていて、正面奥にチベット側のヨセミテ風岩峰が写っている。 
 カルマもムー村へは行ったことがいないし、チャラ・バンジャンは知っていたが越えたことがない。ヤクが越えれるシーズンの夏は峠はガラ場となり、ヤナン(エナン)バンジャンの方が容易だということだった。スネルグローブはこの国境のムー・ラ(モ・ラ)(新地図約5520m)を越えて、一旦チベット側に出て、みんなが越えるヤナン(エナン)峠を越えると越境がバレるので、インド測量局地図でチャラ・バンジャンを越えてシーメンに出た。という僕の説を、カルマも納得するのだった。1999年8月8日のURLhttp://www.showa-p.co.jp/oac/japanese/dolpo/dol_0808.htmlのスケッチ309と311(缶切り岩の横がムー峠(モェ)インド測量局の峠で僕の持っていった地図にはX印がしてあった。この「ムー峠」(モェ峠)は僕の書いたJAC Vol.94/1999年報には記載がない。インド測量局地図を峠参考から割愛した。中ネ国境地図、ロシアンマップにもトレイル記載、峠記載がないが、新地図には峠の名前はないがトレイルはある。で、峠は11ケとなる。来年越えねばなるまい。
 
David Snellgrove メHimalayan Pilgrimageモ A study of Tibetan Religion by A Traveller
Through Western. Nepal.Bruno Cassirer . Oxford 1961. の口絵写真から。
「ヒマラヤ巡礼」デイヴィッド・スネルグローブ著:吉永定雄訳、白水社 1975年初版
本の口絵写真では、バックの写真ははっきりしない。また北を見る写真は翻訳本にはない。
 
ホテルの通り2軒目(電気屋さん向い)のロッジのオヤジは長男で
「おばあさんの敬老祝い」を親族を加えて盛大に1週間もやった。
太鼓と笛の音は早朝の3時から夜まで「ピーヒャラ」「ドンック」と鳴らして
、本日はメインイベントなのか?おばあさんはお馬に跨り行列が始まった。
 

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