22th.JUL
奥田と小林はムクチナート経由でカグベニへ。Tetangのゴンパへ立ち寄ってGhyu la Ghanjyangを越えると言って出かけた。僕達はChhusangのゴンパとカリガンダキを渡渉してGomba Kangのお参りをする為に早朝発つことにした。その前にChhomnangの下寺に寄る。下のゴンパはラマがいなくて、上寺との間の家が、酔払いの髭ゴラ・ドライバーの自宅で、畑のおばさんを呼んできて「このおばさんがここの人…」と言った。本堂には、真中にパドマサンバヴァがお祭りしてあって、左右にも像があって、壁画は新しいものであった。おばさんにリンゴを頂いてChhusangへ下って洞窟寺院のメンツィ・ラカンに寄る。村手前のゾンの中にもあるゴンパにも寄ったが両寺ともラマはいない。
 村手前のレストラン兼ロッジでミルクティを呑んで、ここのオヤジにゴンバ・カンへ行くのだけど「カリガンダキは本当に渡れる?」オヤジは「アホかいな!この激流を渡るなんて死に行くようなもの…」「あいつ渡れる」と髭のゴラ・ドライバーをアンパルバは指指した。みんなが「ヤメといた方がええ」と盛んに止める。このレストランでラーメン啜ってた男は「マレーシァ人のローマンタンご一行」のリェゾンと言った。まだ、リェゾンがいる?確か7月から不要になってはず・…?「ノー、アイム、ジョムソンポリス」とも言った。…・・ウウーン?どうなってる・…?。今シーズンはお客が少ないとも言った。
 Tanbeのゴンパの前の家でD.V.ライとキッチンスタッフは朝食を採っていた。
ここのゴンパも立寄ったけど、パドマサンバヴァを真中に仏像が三体あった。帰りを急ぐが秋のように河床を歩けず、山側へ大きく高巻く路を通りACAPの事務所前を素通りして12時にコグベニに着いた。やがてD.V.ライ達も到着してダウラギリ・ロッジの上手のエベレスト・ロッジのレストランで昼食。ダルバートが出来たのは2時間後であった。
 アンパルバはここのACAPオフィスで、新登山規則のゴミ供託金返済用のレターにゴミを持参してサインを貰いに行き、僕はパサンディキとふたりでジョムソンへと急いだ。
 強風迎え風にうんざりして4時20分、スノーランドホテル到着。大谷映芳パーティのガイド、シーメンマンチェのカルマと出会う。彼はフライト・ウエイティング3日目らしい。
 
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昨日の途中で観たカリガンダキ右岸のパノマラとゲリンとガミ村
 
スノーランドホテル、タイフーン特別専用室はトリプルベットだが全てを独占して、
荷物置き場として使用。清潔なシャワーと洋式便器完備。
もちろんベットメイキングとバスタオルは毎日替えてくれる。
閑散期で15ドルのところを長期滞在で素泊で8ドルに。
お客はヨーロッパ人がふたりいたが、2日目に歩いてポカラへと向った。
 
ジョムソン空港前からオールドジョムソンにかけて道路の石畳が完成して、
自転車が青年達のスティタス。勿論子供達の自転車遊びも盛んで、何台かのオートバイも走るのだ。
「交通事故にご注意」の標語が今やいる時代となった。

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