16th.JUL
朝6時のモーニングティが出たときは雨は小降りになっていた。7時になると強く降り出した。昨夜、ゴラ達は南側の尾根で草を食っていたが、尾根を越して南のDhechyan Khola側のゴルジュ上にいたらしく3時間後の9時にドライバー二人はテントに戻ってきた。ゴラがいない。とビルケは泣きそうな顔。Yaraでガイド兼ゴラ1頭を借り足したので先行して、ビスケには一人で探せ…とアンプルバが言う。もう正午も廻ってしまって雨の中を出発することにした。谷沿いに進むと遠くの南側の尾根上に2頭のゴラが草を啄んでいる。こんな所まで上がっていたが、ビルケに伝えられない。この辺りから広い尾根へ出て、しゃにむに進むとダダ広い所に出てケルンがあった。
 数十頭のゴラに乗った、ダモダールクンド詣でからの帰りというヤラ村の若者達と出会う。ここから南へ流れる谷を横切る。北西のYaripanje Dadaへ向う新地図のトレイルはPachekya Bhanjyang 5447mへダイレクトに行く路と新地図上のDamodar Kundoへの路があるが、今では殆ど使われていなくて新しく作られたKyumupan Dadaの峠を南東側へ広い高原状の所から谷に出て下る路となる。雨は霙混じりとなり、急なドロ混じりの路を寒さに震えながらDhechyan Kholaへ流れるPalsye Kholaへの下りとなる。川床に大きな岩があり、この下にインド人サドゥーが自分で入り込んでミイラ化した死体がある。新地図では太く川の表記があり、ゴルジュになっているが左岸からの押し出しで、下流は伏流となって両側の岩壁が狭い門となり、ゴルジュがDhechyan Kholaまで続いている。
 対岸の急斜面に電光形の急登が600m以上続き、路も新しくて、ドロ路を進む。約1時間霙の降る中をゴラに鞭を入れると周囲にはマニ・フラッグで飾られた小さなラプチェが出て来て、霙の中で休憩する。手はかじかみ、歯をガタガタ鳴らしながら情けなくなってくる。やがて小降りになり、広い霧の中を水平路から草付きの急斜面に出て、ガラ場を歩くと再び長い下り路でDhechyan Kholaに降り立った。この路のどこかにもインド人サドゥーのミイラ化した死体があるとヤラの男は「見に行く?」と問う。
 この河原の右岸に石積み掛小屋と左岸にも同じものがあり、流れを渡り草付きの小さなコルを越えると広い広い縦長の草原へと出た。どこでもキャンプが出来そうな所だが、ヤラ村のゴラ・ドライバー兼ガイドは「ナッカリ・ダモダールクンドまで行きまっせ」と先を急がした。アンプルバとパサンディキとゴラ激走大競争をする。
「さすが尊敬するバラサーブ。優勝ですねえ」とアンプルバに言わしめたナッカリ・ダモダールクンドの青いトタン屋根小屋と石積小屋、養生シート小屋掛けのヤラ村の羊飼いテントに到着。ナッカリとは「嘘っぱち」「イミテーシヨン」の意味で ‘82年HAJ隊のサッカリダモダールクンドと書かれた概念図の位置で、この頃はここをサッカリ「本当の意」と言われていて、ナッカリダモダールも当時は概念図の位置にあった。ここはナッカリ・ダモダールクンドは約10年前に新しくヒンドゥー教聖地となり、チベットからラマも招いてラマ教の聖地としてチョルテン(仏舎利塔)も同様に建てられた。(プレム談)ヤラ村のゴラ・ドライバーもそう言った。ジョムソンのカッチャル・ドライバーの若者は15年前か20年前とも言った。90年代後半に大谷映芳とプレムがTV撮影(テレビ朝日放映)でダモダールクンドを訪れたが、これもここを撮っていたし、今年の春、Gaugiri峰を登ったというアメリカ隊もダモダールクンドをこことしている。(ホーリィ女史談)新地図のダモダールクンドは僕のJAC Vol.IIの附属地図の位置にあって現在は地図上のダモダールクンドを指していないようだ。彼等はホーリィさんのJAC附属地図にナッカリ・ダモダールクンドの印を記し、僕の書いた新地図のダモダールクンドは間違ってる。とホーリィさんに報告していた。「・・…?Gaugiri南西稜を登ったというけど…?どの山に登ったのかなあー」
 羊を買って解体、サリブン峰BCへのお土産とする。
 
ヒンドゥー教のお社はブリキ製でこんなので霊験あらたかなのか?どうか?
まわりにローソク立てが汚く並んでいた。
 
ラマ教のチョルテンはマニ・フラッグで飾られていて、フムこちらの方がいいねえ。
 
小さな池が三つあって、ヤラ村のおじさんと息子のラマ、ガキが手前の養生シートの小屋掛けテントを張っていて、
2軒の小屋が立っているが内部はインド人、ネパール人の信者がきたなく汚したまま…。
「世界人類皆んな友達…・」ではなさそう!
とても中で泊まろうと思わないなあー。
 
上の二つの池と手前がヒンドゥー、池の背後の丘の上がラマ教のチョルテン
 
ヒンドーはGPS 5017m 28 58 558 E84 10 224
ラマのチョルテンはGPS 5035m N28 56 492 E84 10 165
一人で計測して、写真撮って、スケッチして…・・イソガシイのだ!まあ趣味ですけどね!
 
↑画像をクリックして頂くと、拡大版でご覧頂けます。
Jpgで出来るだけデーターを軽くしたために、判読出来ない!
重くなると時間がかかるし、ここのところご容赦ください。
右上の国境屈曲点がGaugiri峰で西に地図上のダモダールクンドで薄く鉛筆書きしている
トレイルは今では使われていないトレイル。
BCとあるのはサリブン峰のBCで、ここはブリクティ・サイルへのBCとなる。
ここでブリクティ・サイル峰に2000年夏に登った日本人がいる。
でも、このBCは誰も使われていなくて奥田達が初めてBC建設した所で、
その時のサーダーD・V・ライは奥田達のサーダーで「もちろん。ここに来たのははじめてでして……?
X印はGPS測定地点。BCへの北の鉛筆線はタイフーンの国境行きの路ですけど…・・。
赤い国境の外へ書かれてるか?書かれてないか?A3スキャナーに入りませんので割愛。
 

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