13th.JUL

昨日はガミに午後3時に着いた。アルニコチュリーBCから2日半で33Kmと地図上ではなっているけど、実際は50Km歩いてるだろう。休養日は全くないので今日はツァーランまでの9Kmの道程とした。朝から村長、会計のおっさんと談笑する{西(トルボへは収穫季には行けまへんで」「昔は1ラック(10万ルピー)貰ってたけど……。今はトルボへ行き来するネパール人の商売人からも同額徴収してますねん」「バチあたりまんねんワテラ・・・・」「何のバチ当たるん?」このバチあたりのおっさんら…・。何度も入村料のこと、収穫季通過禁止のことをヒツコク言う。まあ仕方ないけど、ムスタンの7つの村への寄付金とするか!「ハイ!ニイちゃん領収書どうぞ!」「まいど、おおきに…・」 最後に「この領収書は6ヶ月有効です。また来てちょうだいね」「誰がくるかあー」あれこれ朝から村民会議長老らとの笑顔?混じりの話合も終了して9時過ぎにロッジを出る。激流のガミコーラの木橋からメンダン横を通り、Chingel Bhanjyangの大石積みチョルテンに座り込み、ガミコーラを振り返る。流れは、まるで滝の連続のように白い飛沫が見えた。ツァーランへの路は天気もいいし、得意の「お散歩コース」で、ツァーラン到着は10時半。
 宿はローマンタン・ラジャの妹というおばちゃんのお家で、昨年のロッジ。お客は先週に仲間が泊まり、昨日はフランス人アベックの二組だけだったらしい。
 ご高齢のダンナがおウチの仏間で太鼓叩きだし、お経を唱え出しても、僕たちが昼飯あつあつソバ・ティューロ、「デロともいう」を食してても 、食堂と台所をうろうろしているだけで何もしてない。まるで日頃の自分の姿を見ているようで…・。羊を3500Rsで1頭買った。ビルケとスレーズの大活躍で解体作業終了したのは2時間後の、夜も暮れようとした頃となった。彼らカリガンダキ右岸住人のグルンは生肝を食すし、心臓らしきものもチリと塩をつけて生で食べる。「デレデレ・ビタミン」と言いつつほうばった。アンプルバとパサンデキ、スニールに僕は薄切りレバー・ステーキを食って、今回初めての大好物、マカロニ入りシャクパをつつき合った。

 
ガミコーラの木橋からメンダンを通り、
急坂を登りつめた峠Chingel Bhanjyangから南を見るとアンナプルナ I 峰北壁と
ティリツォオピーク・別名薬師岳とニルギリ北峰が一番きれいに見えるところだろう。
 
西側を見ると僕たちの下ってきたガミコーラが滝の連続のような急な谷に見える。
 
昨年も一瞬見えたけど、同定出来なかった。今回は天気が良くて、じっくり見える。
見たとたんに解った。なかなかカッコいいじゃん。なぜか山が見ると横浜弁となっちゃう。
 
Ghamiのメンダンの背後には、K先生の病院と農園があるけど、自由に入れない程厳重な
囲いに守られている。まあ、現地では色々「おはなし」がありますなあー。
 

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