12th.JUL
太陽が顔を出したので濡れものを乾かして今日も8時に出発。新地図では左岸のトレイルがNaktang Kholaとの合流点まで続いていて、プレムは「DhakmarからLo Gekarへ出た方がいい」「Ghamiへ出ると村民ともめるだろうし、入村料は1ラックぐらい取られる」と忠告してくれた。路は新地図とは逆に右岸に続いていて、川は激流となってゴーゴーと音が高くなる。天候急変してガスが沸いてきて、進む方向が解らない。この辺りで最も標高の高い6402mピークへの谷を渡ると草付きに微かな踏み跡がある。トラバースを終えるとどんどん登りになって来る。アンプルバはカッチャルの背の荷物がトラバースの際に斜面に当たり、岩に当たるとカッチャルが墜落するので付き添う。昨日の霙は雨となっていて草付きはボトボトに濡れていてスリップすれば川床まで一気に墜落。ガスの中の草付きの急登が出てきて高度計は5200mを越えた。新地図では氷河を記しているが、もっと上だろう。
 更に登り続けるとトレイルが出て来た。E83 47 90を過ぎると路に出て峠のケルンがあった。この路はトラバースしたもっと上に続いているのか?川沿いを下降したので渡渉点から登りのケルンがあったのかも知れない。ケルンから新地図の氷河と誤って記してある谷を下り、川床200mぐらいのところからトラバース路となる。新地図ではDhuya Kholaとこの辺りからなっているが、上流のDhuya Kholaの水量が右俣のGhami Kholaの方より多いので、そう名付けられていている。谷の途中だけ名前が変るんですなあ。ネパールらしいらしくていいなあー。上流はGhami Kholaでこの辺りだけが表記が違う…?。GPS 4242m N29 04 001 E83 49 198で遅い昼食を採った。下流に陽が出て、ガミ村の北のChingel Bhanjyang 3880mへの急登と周辺が見えて来たら一気にガスが切れて、本流は滑滝のように白く泡立つ流れで、とても左岸へ渡れるようなところはない。そのまま右岸をトラバース気味に、右側が笠ケ谷四の沢でも入っているような錯覚する岩峰群の下を横切り、広いグリーンの台地に出た。ここからまたもや登りとなって大きく左斜上へと進むとGhapan Kholaの上流の放牧地。上からおっさんが「オーイ!ガミ村は下やでえー」と叫ぶ。皆んなはガミ村に行きたくないし、ずーつとトラバースしてTama Gaonからの路へ出ようとしてるのに…・・。「オーイ!下へ行けえー」とワイワイ言う。仕方なく、沢を下ると小屋掛けのブルーシートと岩穴に3人のガミの若者。「お前等どこから来た」「リエゾンはおるんか」「サーダーはどいつや…」僕は完全無視。アンプルバは低姿勢で…「上から…・」「ガミへ行く…」
 やがて広い草付き斜面へ出て、ガミ村上流へと出て、若者の監視付きでガミ村のロッジへと着いた。ここは昨年も泊ったロッジで村長さんズャビァン・ツォサン・ビスタの長老のロッジである。夕食後、もう寝てる8時半、アンプルバに起されて食堂に行くと…・・。村委員会の長老や会計や庶務や…・7人が集っていて、サリラ、チェキャップ、ギャジェの3つの地域の山登り、トルボの行き来きにはお金を頂くことになってます。2000年の夏にオーストリアご一行22名様ご一行さまからも「ほれ!この通り」と領収書を出した。「で!お一人様いかほどで…?」「さっきシェルパ・ダイにも言うたけど10000Rs」「エ・エーッ!10000Rs…・」「お一人さま違いまんねん。1パーティですねん」「ホナ!ワテも10000Rs」横からアンプルバが「5000Rsに負けてえなあ」「アキまへん、ガミBTCを筆頭にツァーラン、スルカン、ローマンタン、ツォ、ヌプ、ソシェルBTC各村での取決めごとデンネン」と会計のケッツ・グルンというおっさん。「ソーカ!あした朝、アンプルバ払ろとき…・」「ワシ眠たいねん」「えらいモノ解りのええ方すがな」「アカンちゅうたかてとるんでしょ?」「どこのどなたか存じませんが、アンタはきっと偉いバラサーブでっしゃろ」「ウン・?」「ぜひ、ヌン茶かチャンでもいかがでっか」「…・・?ン」「ところで、アンタはん、9月末から10月初旬、大麦収穫の季節サリラ、チェキャップ、 ラプチェ・ギャジェの三つの地域を通ってトルボ、要するに西へは行けまへんで」「知ってはる?」「アホか…!知らいでか、おっさん」ここは大阪弁で言うたった。
 
ガミ峠へ行く
 
ガミ峠の石積みチョルテンを越えて、広いガラ場の歩く
 
↑画像をクリックして頂くと、拡大版でご覧頂けます。
ガミ・コーラ上流の南側は地図では大きな氷河が南の6196mへかけ記されているが、
これはこんなに大きくなくて単純な空中写真判断ミスである。
5892mのピークの東側へ氷河の舌端が出ていた。
 

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