| 4月16日 |
| From BC BC休養2日目でずいぶん身体もラクになりました。ここBCは暖かくて快適な生活環境です。 昨夜は谷口は「更に休養するのだ」と叫び!得意のタニグチ状態となりました。コワイですねえー オソロシイですねえー。ヤメませんね!!で、本人はしおらしく今日は控えております。 2台の衛星電話 「スラヤー」「インマルM・双方とも通信はOKで、BCと上部からとも連絡OKで、ウォーキー・トォーキー代わりにも使用してみました。もちろん日本との通信も順調で、受信の方が感度良好、ただデーター通信には画像を送った昨日は時間が15分もかかりました。 またスラヤーの方のGPS数値判読は簡単で、正確なようです。 ベースから東側のスミヨシ・コル方向を観ますと眼下にツラギ氷河末端湖(Duna Tal*)が大きく見えます。登山終了後、時間があれば実測と氷河上部へも行ってみます。 スミヨシ・コル付近には積雪があります。これからからの眺望は、ツラギ峰とアンナ方面しか見えません。 |
![]() |
|
KTMから黄色のベンツは快適な舗装道路を走り、ここベシ・シャールの街に3月30日後発の中村は到着。
メインロードは以前に比べるとずいぶん立派な町並みになっている。カトマンズの街並のようでしょう。 |
![]() |
|
キャラバン2日目、Talの村が近づく、キッチンボーィのアンタレとポーター一人の気楽な3人旅の後発であった。
アンタレとはダウラギリI以来で、良く気がつく好青年で西ネパール偏執狂集団連中とも共にしている。 この登山が終わるとそのまま「トルボ」へ行くことになっているらしい。かわいそうに・・・・、何せおっさん連中は「うるさい」、それより何よりOBAHANsがいるからなあー。今回はずいぶん精神的にラクだろう。 ただひとり「得体の知れないタニグチ状態になるヤツいるけどなあー」そいつさえクリアー出来れば・・・・・・。 |
|
|
ベースキャンプから東を観ると眼下にツラギ氷河末端のポカリが新ネパール地図のとおり大きくて、阪大隊、横浜山岳協会隊、ツラギの会隊などの報告による時代より、ずいぶんツラギ氷河は後退して大きくなっているようで、ここBCからは湖の真中あたりまで見えますが、ここまでで約1Km以上あるでしょう。
スミヨシ・コルは雲の中かも知れません。 |
![]() |
|
BCから西をみるとアンナプルナ連山が美しく見えます。
ラムジュン、アンナプルナII、IV、IIIのパノラマを満喫しています。 |
| 注) (Duna Tal)について この湖は新ネパール地図ではDuna(Dana)Talと名前がついている。1961年の阪大隊P29偵察隊の報告では単に氷河湖と呼ばれ、ずいぶん小さいものだった。1974年横浜山岳協会隊のP29南西壁報告で古川純一さんはNyo Pokariと名前が付いた。1978年、ツラギの会によるP29南西壁隊でもニユオ・ポカリとなっている。1972年オーストリア隊マナスル南西壁に登ったメスナーらの報告では名前がない。 |
|
|
| カレンダーへ |