4月17日
Thulagi Peakのこと

標高7059m 経緯度N28 31 42 E84 31 23は2001年暮れに発行された新ネパール地図
(1:50.000)によるもので、最近では、’96年に発行された「ヒマラヤ名峰辞典」の概念図(薬師義美)と解説、吉永定雄によるプンギ6533mにツラギピーク(仮称)南北に2峰があり北の峰は7036mになっているとある。1961年、阪大隊により西面氷河より試登された。P29の南西面からの偵察であった彼等は、ムシ・コーラを遡り、スミヨシコルを越えて目の前に大きく横たわるツラギ氷河を発見した。ツラギ氷河へ下り、舌端氷河湖の下流右岸にBCを設けた。P29の南西面からの大岩壁帯ルートを諦め、西川元夫さんを先頭に、このツラギピークを試登することにした。インド測量局1インチ1マイル地図では6700mの無名峰となっていた、その西の(フンギとは肩の意味)プンギ峰には名前が付いていた。6379mの標高であった後に6398mに標高が改められ、現在の新ネパール地図ではKam Punge Himalの6538m N28 33 15 E84 29 08、となり無名峰となった。
ドゥド・コーラのヒムタンの上流から見ると三本槍の岩峰が聳える。西川さんは今回のRC(リレーキャンプ)の少し上5400m辺りで氷河一杯に高さ20mの氷壁にぶつかり、ここを最終到達地点として試登を終えた。1972年マナスル峰南西壁から第3登をおこなったオーストリア隊のR.メスナーの単独登頂した記録。
Reinhoid Messner”Sturm am Manaslu” Himalaya-Expedition-Report,Munchen,1972
による彼の報告書では、7000mと記されている。横浜山岳協会隊P29南西壁報告書によると古川純一さんの文面ではツラギ・ピークはドナ峰(6900m)となっているが、概念図では阪大隊の6700mを採用されている。1978年、横浜隊の登攀リーダーであった田中文夫さんがリーダーとして再度P29の南西壁に挑んだが、当時物議を醸したウインチによる荷上中に事故が発生した。この報告書「青春のヒマラヤに学ぶ」田中文夫(文芸社)2001年ではドナ6700mと概念図に記されている。79年北西ピーラーからポーランド隊がP29を挑みUIAAグレードX、A2という新ルートを登った。(AAJ1980年)残念ながらツラギ氷河側の概念図はない。1977年発行の「世界山岳地図集成」学習研究社、(マナスル)概念図:吉永定雄ではツラギ峰は6700mとなっている。余談ながら、このP29阪大隊副隊長のスミヨシさんはスミヨシ・センセのことで、西川さんは絵師「ツラギ氏」のことである。今回の登山では、昔の写真、スケッチ、記録ノートなど、おふたりには大変お世話になりました。
 
申請書に付けた阪大隊のツラギピーク南西壁と登攀予定ルート。
この通りのルートとなるか?登頂となりますか?
 
↑画像をクリックして頂くと、拡大版でご覧頂けます。
ドイツ語のメスナー報告書の概念図コピーです。
日本人の名前が地名に?、外国人によるネパール・ヒマラヤ報告書の概念図に載った唯一の地名である。その昔、モリモト・ピークもあったけど外国人に概念図が書かれたかどうか知らない。R・メスナーは先人を尊び、概念図にSumiyoshi Col.とチャーンと書いてます。良く勉強してるねえー。両岳人には、もちろんソンケーしますわ!
「老師!!」ボクンらの報告にはローシ・コルと格上げして報告します。
 

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