8月6日

昨夜は「お帰りをお待ちしてました」「ホント!」とオクダと米田さん。「ウイスキー泥棒が帰って来たぞぉー」とオオツ・ファミリーの温かい?歓迎会をレストラン「華」で挙行して頂き、オクダは喜び、米田さんも少し喜び、オオツ夫妻らもやや喜び、レストランは大喜びした。米田さん差し入れのビールで乾杯、日本酒とウイスキーを禁酒明けで痛飲し続けて、TAKEとタイフーンはオオツ家にて早々にダウンとなった。まあ。こんなあんなで今回のトルボ学術登山隊は終わりとなりました。10日のTGでメムバーは帰国して、14日の深夜便RAでTAKEが、バラサーブは15日のTGで皆さん無事ご帰国となりました。やや疲れた!というのが実感ですが、今回も楽しい仲間と過ごせました。バラサーブは相変わらずの「わがままと協調性の欠如」をさらけ出し、TAKEは不思議と「不機嫌にならず」、ヨシナガはんは相変わらずの「マイペースでお過ごしになり」、ミズタニはんは相変わらず「アルコールと食い物にいやらしくしてて・・・」ミズタニ夫人は「学術隊長のサブを十二分にして・・・お利巧さんして!」、アカヤマさんも「最後のジョムソンで実力発揮されて・・?」イノウエも「6000m峰3座登って、がんばったし・・・」、サトウさんも「毎日、パルシオキシメーターの計測してたし・・・」、Fumiさんも「大阪弁の世界に慣れたようだし・・・」アホのもーちゃんは「笑い止めな!」と言われても「笑ってたし・・・」。これにて報告はおしまい。

「もう、同じメムバーでトルボへは行けなくなりそうやね・・・・」そんなことをポッリ言われたメムバーがいました。そうかも知れませんね。寂しい限りではありますが、やはりトルボを広く歩くのは無理な人が出て来るかもしれませんね。そんな厳しい自然と体力を感じたのかも知れません。そんなことを言いつつ、輪廻転生、聖なる七つの智慧を求めて次回のカイラス周回巡礼とグゲ遺跡の旅には行きまっせ!とその人は言いましたね。そして、まだ行かねばならぬトルボの山と未知の谷へも、どうしても行かねばならぬところが・・・・・、そこは、あの子供達とおじさん、おばさんが「また来たの!」と待ってるから・・・・・。(本日から学術?報告が続きます)
 
ポンパのサムリンゴンパを訪れたヨシナガはん達はD.スネルグローブ教授達が訪れた時に、洗髪も身体を洗ったことのない少年に出会った。その子供は今ではすっかり立派なラマとなりました。彼はD.スネルグローブ教授のことを良く覚えていました「そうだったかなあ・・・?」と言ったそうです。残念ながら吉永定雄訳『ヒマラヤ巡礼』の口絵写真には載っていませんが、少年の顔は、そのまま大きくなったのです。
 
David Snellgrove"HIMALAYAN PILGRIMAGE" A study of Tibetan religion by A Traveller Through Western Nepal.Oxford,1961.Reprinted:Boston & Shaftesbury,1989.

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