7月22日

シーメンへは流れの右岸を進む、カッチャルは左岸のゴンパへの路を行った。右岸の路から村へは一旦左岸へ移り、カンニの中を通って両側の畑に高く積み上げられた石垣下の路をパンザンコーラ上流に向けて進んだ。畑が続きキャンプ地は、どこかの家の庭に張りたかったので村人に訊ねながら、とある広場のある家へ入った。ここの主はペンマ・ギャルツェン・ラマといいグルンと名乗った。ここシーメンにはグルンと名乗る人達がいる?。ラマと名前が付いているのに・・・・?若者がパスポートを作るのにネパール名のグルンとした方がいいと言った・・・・?

昨日、到着後テントを立て終わるや否や夕立ちが来て、ひどい目に会ったが今日は朝から天気はいい。昨日、村の子供(お菓子がほしい)や女の子(タバコがほしい!)、おじさんと幼子は(薬がほし)。老人も(薬やタバコがほしい・・・)と今まで、アッパートルボではない会話が出てきた。それだけトレッカーが多いのだろう観光化が進むシーメンを見た。ここの若い主人と集まった老人達も交えて「ゴシャルゴンパへお参りに行く?」「行ったことがない」「我々はティンキューのタルンゴンパへ行く」・・・「このタルンゴンパのラマは・・・・・省略(後日に・・・)」 主な話は「ヤナン・バンジャンを殆ど利用する」こととか、時としてマリユン(マリン)バンジャンを・・・」「ローソク、ライター、石油」など売店はない」などなど・・・、大きな広い畑を持つシーメン村の人達は主食に不自由はない。それに中国米、マイタ、日用品、贅沢品?のタバコ、酒類の殆どは中国製品で、峠の向うのチベット側、交易所でルピーで購入出来る。要するに「お金次第」というヤツである。一種の近代病を悩み、チベット側ではジープたトラック輸送を見て、TVや近代的な漢人に接し・・・・。時代が進んでいるのを見れるようになった。ややこしい時代が到来しているのだろう。

夜半、我家のLIMIと同じヤツに沢山カシ肉を与えたので、キッチンテントの前で寝込んでいる。そこへ村中の犬が餌を求めてやって来るものだから「ワンワン」吠えるし、テントの廻りを走り廻り、恐怖の夜であった。

パンザンコーラ沿いの村外れまで約1Kmもマニ石が続いていて、一旦河床へ降りて、マイト・コーラの出合から谷を少し遡り、三角形になった高台へ上がると広場へと通じる。ここのカルカにいた少年達が僕達を見つけて走り寄って来た。ここから約16Km上流にエナン(ヤナン)バンジャン。この峠は新地図でもヤナン・バンジャンとなっているが、エナン・ラでないとトルボでは通じない。サルダンからだとざっと37Km以上あり、コマを通らねばならない。コマへの長い登りとシーメンへの下りがある。一方、クン・バンジャンへはサルダンからニサルまでずーっと楽な下りで8Km、2時間もあれば行き着く。そこから峠までは18Kmで、これも楽な道程である。ヨシナガやミズタニ達もサルダンからシーメンへコマで泊まらず、馬でたっぷり1日行程でシーメンに着いたが、エナン(ヤナン)バンジャンへは疲れていて翌日行く気になれず、ティンキューへ進んだ。まあ本人達も色々考えた末の行動であったのだろう。エナン・ラへは立寄らなかった。

マリユン・バンジャンへ昨日からヨシナガ達は出かけいて、峠に立って今日はティンキューへ戻ってくる。このムクディム・コーラ出合にはPhalwaという名前の小さな村があり、Mukdem Kholaの浅い流れを渡ったカンニに寄る。入り口は背が高いのに、?出口が低くなっていて、天井の朽ち果てた曼荼羅を撮影してたら、馬はそのまま進み、慌てて屈むも、ザックが引っかかり落馬となった。「うーUUUUm」と唸っていたら、それを見たツルジムは大慌てで駆け寄って「バ・バ・バラサーブ!ダ・ダ・ダイジョーブ?」「アホ!ダイジョーブなことないわ」そのまま寝転んでカンニの後ろの一軒建の家を見た。「フム?あれはオ・オ・オオタニ・メデイカル、セ・セ・センターとチャウ?」「ツルジム見ておいで・・・う・Ummmm」「バラサーブ!ダイジョーブ」「ダイジョーブない!メディカルセンター」「壊れてる」と彼は話した。窓ガラスは破れ、中は無残にも何もない?。オオタニに報告せんとアカンなあー。えらいことや!僅か1年で崩壊寸前!ここから、とてつもなく広い広場から畑に出て、クーラカンが正面に大きく見え出して懐かしいのティンキューに近づいた。
 
シーメンの畑に朝日が射した。雲の切れ間のV字の所に小さくラプチェが見える。畑と柳の木が多いシーメンの朝、グリーンがトルボで一番美しい。
 
約1Kmも続くマニ石の列、幾重もあるチョルテンを過ぎて振り返るとまだシーメンは陽に十分照らされていなかった。
 
エナン・ラへの谷マイトコーラにあるカルカの男の子達が集まってきた。初めは胡散臭そうに腕組みなんかしてたが、やがて笑顔になった。「エナン・ラ、ゴシャル・ゴンパ?」などなど話しかけたら「・・・・?フム、このオッさん頭がおかしい・・・・」もっと笑顔になった。
 
↑画像をクリックして頂くと、拡大版でご覧頂けます。
パンザンコーラの本流の川床を歩くと「くの字」に右に曲がる個所はゴルジュになっていて、ムクディム・コーラ出合いのパルワ村に近い。クーラカンの岩山は見え続けて、マニ石と大きな畑が出てくるとティンキューも近い。クーラカン (Kula Kang 5584m)の左の雪山はティンキューの人達はカンテガと言っているが、6月15日のURL写真の Chanmar Kang (6060m)の北側である。
 
ティンキュー村は4年前と少しも変わっていない。村の中にチベッタン行商人のテントが張ってあった。
 
ツァルカからの入り口のカンニ下にキャンプをしているのだろうとツルジムは進んでいった。僕とTAKEも続くとポルテへの路、村外れにテントが一列にピシーと張られていた。バラサーブは性格がピシーとしてるので、シェルパ達はキンチョーして「お待ちしておりやした」と言うであろうなあー。

前の日へ  カレンダーへ  次の日へ