7月20日

メストゥト(MaiSundo)のキャンプを5時半に出た。メンラ・バンジャン(メンガン・ラ、メンゲン・ラ)からラルラ・バンジャンの間をChharka Bhot Himal と新ネパール地図に記されているのは、中ネ国境協定附図がそうなっているからで、ここだけをChharkaの名前が出てくるのは・・・・?マークだと思う。ルンチャンカモ・バンジャンから西はPalchung Hamga Himalとなっているので、そこまでをChharka Bhot Himalというのは・・・・。MengLa Bhanjyangから東、チャラ・バンジャンまではGautam Himalとなっているのに、マリユン・バンジャンのMukdem Kholaの右俣、Mayum Talのある5827mまでをChalabhot Himalとなっている。ここからピンドー・バンジャンなどを再びGautam Himalとなっている。このChala Bhotというのは・・?で中ネ国境協定附図には記載がない。Chala Bhanjyangから付いたとは思えないのだが・・・・?。ティンキューの人達も、そう呼んでいない。学術隊としては解明せねばなるまい。
さて、話を戻しましょう。この谷は昨日のTacklhago接近時に目の前に見えていた。上部で二俣になっていて、右俣5744mの南岩稜がMagengLaへのMusi Kholaまで延びていて、ツルジムは「この尾根を登りましょう」と言ったけれど、バラサーブはガンとして譲らず「ワシを誰と思とおるねん」「学術隊の
おおにしではなくて、バラサーブ なるぞ」と。そこで右俣の谷を忠実に詰めて、小さな池のあるところから更にガラ場を進んだ。TAKEが行方不明・・・?「バラサーブ、TAKE daiは左の谷の方へ・・・行きましたで」「よかろう!捨てておけ・・・」 モェ村のダワ・シタル・ラマ君は目の上の最低コルを「ギャンゾン・コル」と勝手な呼び名で指さして、ジャングル・カンチャと先を進んだ。たちまち最低コルに身の丈大のケルンをこさえている。ボクは息切れするのを隠すために左の岩場登る。ツルジムが後に続き「何もこんな岩場を登らんでも、こちらのガラ場に先行二人が路をこさえてんのに・・・」「あ!バランス壊してまんがな」「あ!足場不安定?」「足元をボクの手に・・・・」「アホ!これが得意のフリー・クライミングなんだ」「どけ!手なんか出すな」 最低コルからのギャンゾンカンの岩峰の景色は素晴らしいものがあった。ここ国境稜線を100m簡単に降りることが出来て、チベット側の湖に立てる。「下に降ります?」とツルジム。チャンチュンコ・ルシャはネパールとの国境へ釣り針のように廻り込んでいて、ポカリが6つある。ここまでチベッタンが放牧ではこないだろう。「今度はここを降りて、ギャンゾンカンを登ろう」西の国境稜線の5700mの岩峰へ上がった。ツルジム、ジャングル・カンチャ、ダワ・シタル、ビルケ、タイフーンの4人は「初登頂成功」を祝い頂上に大ケルンを立てた。TAKEは左俣から5785mと5530mのコルに立って、ギャンゾンカンらしき岩峰を見たと報告した。テントをたたんで、モェ村のキャンプ地へと下った。
 
出合の急登から上に出ると、'99のスケッチの5492mが右の岩峰でMeng La(Mengeng La)の辺りが望見出来た。チベット側は天気が悪そう・・・。
 
メンガン・ラの右にTacklhago(缶切岩)が見えた。
 
谷に入り、左俣は国境稜線にドリュー岩峰のような顕著な鋭峰が見える。右俣の草付を上がると池があり、国境稜線に二つのコルが見える。右のコルを行くことにした。両コルの間にある岩峰に登ることにした。
 
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コルに立つと正面にチベット側のチャンチュン・コルシャの流れと6つのポカリが見えて、背後にギャンゾン・カン('99年のヨセミテ風岩壁:チャンチュン岩、同大の言うギャルソンゲンゴ)が聳えていた。
 
南壁の岩質は実際に触っていなので解らないけど、多分手前の岩とガレ場を見れば・・・・・。
 
5700mピークに、タイフーン、ツルジム、ジャングル・カンチャ、ダワ・シタル、ビルケの5名は国境稜線から初登頂・・・・。タイフーンと侍従長のツルジムは主に北側をフリークライで・・・・、ジャングル・カンチャらはネパール人であるからして国境稜線を忠実に・・・・。大ケルンの上にバラサーブの被られているチベッタン帽子を飾った。「コングラちゅー!レーション」
 
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Chharka Bhot Himalと新地図に記されている周辺概念図。1: 50000

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