7月19日

今日は3つ目、4つ目の湖(ポカリ)を通り、すぐ五っ目(5198m)に長方形のポカリがある。その5700mの尾根を越えてチャンチュン・コルシャへ横断して、チャンチュン(ギャンゾン・カンの岩峰)(同大2002秋報告:ギャルソンゲンゴ)の北側に出るつもりであった。この峰は'99年に北側の写真をYemelung Kangの頂上からの写真でヨセミテ岩壁としたのだが、ちゃんと日ネ国境協定附図には剪宗と漢文字で書かれてあって、ネパール語ではチャンチュンと書かれてある。等高線は6080mとなっていて?その岩記号に26番の記号がある。メストゥトで会ったチベット人に聞いてもギャンゾン、ゲンゾンとも聞こえるが・・・・?、トルボの人達も、この山の見えるサルダン、見た事のあるニサル、モェ、シーメン、ティンキューの人達も同様にギャンゾンで通じたし、ゲンゾンでも通じた。朝からミゾレから雨は降りや止まず、5700mのコルを越えるのはチト辛いものがあるので時間待ち。11時になってしまい時間切れとなり、ガイドするモェの若者(名前はダワ・シタル・ラマ君28歳)はメストゥトから、以前ボク達がラル・バンジャンへの谷と間違っいそうになった谷へ入り、5600mのコルへ出れば、セラ・バンジャンとナムグン・ゴンパへ下るラプチェから観た同じ姿を見ることが出来るだろう?と言う。
「ところで君はそこへいったことがあるの?」「ターツァイナ」と言った。不安げながら地図で正確に測ってみるとツァルカボートヒマールから線を引くと見えることになる。11時半メストゥトへ下ることにした。そこでチベットから何ヶ月も前に放牧したままになっていて、サーズ国境閉鎖でこれなかったチベッタンの若者が早馬でメンガン・ラを降りてきた。初めは用心していた彼らもボクがタバコを差し出したら、急に態度と目は柔らかくなり、ジャパニであることが解ってからは、色々話すヤツが出てきた。今日はすぐ下のカルカに泊まると言って、ラルバンジャン方面にヤクがいなかったかを聞いた。放牧のヤクは35匹〜36匹だと言う。チベッタンは何日、ここネパールで放牧していても(100Rs/1day/one)で、ネパール人がチベット側で放牧したら(10Rs/1day/one)と言うことだった。彼らが集めているところや探してる彼らに出会ったら「タシダレ」と挨拶していた。メンゲン・ラからヤナン・ポカリへの谷に彼らはカルカとキャンプをしているとのことだった。
 
Meconopsis horidulaは、人通りは少なければ多くある。アッパートルボの国境峠では、このシーズンはどこでもあるけど、ここのものは大輪のものが多い。もう誰も興味を示さないでいる。中には踏みつけるヤカラも出て「アホなことすんな」と怒ってやる。
 
5240mに一つ目のこのポカリがある。名前はないが長方形である。
 
地図上の国境を越えたら、二つ目のポカリがある。丸ぁーるいと言えば丸いとも言えるし・・・・?
 
2つ目のポカリを越えて丘に上がると3つ目が見える。こいつは4つ目がすぐあるけれど、どうも瓢箪形ではない。MN氏なら昔はくっ付いていたけれど、神の祟りで二つに分けられたとか言うかも知れんけど・・・。確かに流れは通じているので、無理に瓢箪と言へば・・・・。この下にまた長方形があって・・・、またポカリがあって・・・まだ4つぐらいあります。慧海師も数えてられんかった?そんなことないか!トルボの峠で一番簡単な峠。
 
峠の流れに、海藻風なものがあった。ツルジムは「バラサーブ!クーンブでもチベッタンが乾燥させて売りに来る」「まるでワカメみたいね」とみんなで言った。ジャングル・カンチャの出番で、洗面器一杯たちまち採取した。フライパンで炒めて頂くことになった。ワカメの炒めもの風でこんなの中華料理にもないんチャウ???チュシャ+タルカリダルバートの夕食
 
夕方、キャンプ裏の丘へ上がり、Tack Lhago(缶切岩)へ接近する谷へ出かけたら、ミゾレが強烈に降り出した。ツルジムとカンチャはカッパと笠を持って迎えに来てくれた。ずぶ濡れになってキャンプに戻る。「さぁーむぅーぃでぇー」

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