7月18日

昨日、ポクスムド=左岸路からマンドァ=バガ・ラ=ランモシェ・ラからナムグン・コーラを降りてラキョ、ナムドゥの三つの村(チャ、スグ、ポンラ)からサルダンへ着いたヨシナガ達は今日はサルダンにてスティ。ミズタニ達はニサルからサルダンへ戻り彼らと合流する。19日はサルダン・スティ、20日にシーメン、21日にティンキュー着。(20日コマ泊を飛ばしてシーメンまで行く)。衛星電話連絡の午後5時、雷と豪雨で通信状態悪く不能であったので、ツルジムをサルダンへ連絡に上げた。2隊の行動は以上だが、ボク達は今日はモェ村からメストゥト(ネパール語発音では)(新地図:Mai Sumdo)メンガン・ラへの谷との二俣から左へ分かれて、ラル・バンジャンまで進む。メストゥトの手前の湖にはモェ村の人達のカルカが5軒あり、各家族が住んでいたが。男は二人だけで女子供が12人いた。モェ村は13軒の家があり、人口は60人ほどである。新築された家がテント場にあって、17日の可愛い女の子の写真の家族が住んでいた。メストゥトのカルカまで2時間半、ミルクとチーズを買う。ボクとツルジム以外はカルカへ寄らずに二俣まで上がったものだから、ラル・バンジャンへの谷を見逃してメンガン・ラへ進んでいたので「オ−ィ!お前らどこへ行くねん」「こっちゃやドォー!」「アホー」とまたアホの連発・・・・・。ア!良くない発言、取り消し!取り消し!。長い長い、高度の上がらない谷筋を進んで、やっと2時過ぎに国境手前の一つ目の湖(ポカリの表現の方が的確かも)のラプチェ、ここはネパール側ですの標なのだ。地図の国境ライン上にテントを張るべく、TAKEにGPSの経緯度を正確に測るように指示・・・・?。その後、二つ目の湖まで一人で見に行ったけど、水流は低い方から高い一つ目の湖の方向に流れて「目の錯覚」かも・・・・、流量が多くて・・・・?、「そんな筈がない」と思いつつ・・・・????
 
この流れの下がロックフィルドダム風になっていて急登になっている。右岸にカルカがあった。
 
カルカの中は煙が充満していて目も開けられないけど、マンチェは絞りたてのミルクを勧めるのだった。おばさんは舌を出してチベッタン風挨拶をしようとして舌を丸めて噛んだ。アメリカ人は舌を出したり、頭をくっつけたりしないのだ。ジャパニなんだと言っても信じない。バラサーブは髪を短くしたので天ペン禿げ風の薄い毛に白髪が一杯となっていたんで・・・・顔も真っ黒だし、チベッタン帽子を被っているし・・・何人か解らんなあー。親子はぜひ記念写真を撮ってチョーダイといってキンチョーしたし、ハイティーンの娘は「お前おパイ見えてるヤン」と日本語で言っても「・・・・?」と答えた。
 
メストゥト(Mai Sundo)のラル・バンジャンへの入り口の一段高くなったところから、東のメンゲン・ラへの谷を見ると'99年にヨセミテ風の岩峰の下にテントを張ったとある岩峰が見え、その奥に缶切岩(Tack Lhago) (Tack:岩 Lhago:手の指の意)も見える。帰りしなには接近してみよう。
 
Maila Kholaと新地図はなってる5608m針峰群の、どのコルを越えてもクン・コーラ側のLapran Penje Khola側へ横断出来る。広くU字状になった谷の両側は、素晴らしい壁や針峰群がある。
 
ラル・バンジャン(ラル・ラ)に近づくと東側にUの字状になった岩壁、3っの仏像に似た岩峰、つづいてグローブのような岩峰がある。この岩峰の下は国境の向う側の丸い池への斜面へとなっている。だから3っの仏像辺りは5721mの国境が北の端で、ここから西へ直角に曲がる。このグローブのような岩峰は、これがチャンチュン(剪宗)ギャンゾンカン西の岩峰であることが解ったのは、年が2004年となった1月16日の朝 であった。明日、名古屋から知人が来るので、この辺りの写真を見ていたのだが・・・「フム?」このグローブとギャンゾンカンの左峰(西峰)は、どうもよく似ているので、再度見比べたのだ。そう!これがギャンゾンカンの西峰である。国境上になる?ならない?「ウーン!ならないなあ」

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