7月17日

新地図MUSIGAU (Sheet No.2983 05)は、モェ村をムシ・ガオンとなっている。実際にはモェ村であるし、Langla Kholaにトレイルがあり、ゴータムヒマラヤに無名峠が記されているが、モェ村の住人もそんなトレイルはないと言ったし、出合少し上流からゴルジュになっていて、とても入谷する気になれなかった。D.スネルグローブがシーメンへ越えたモェ峠への路は、しっかりしたトレイルがある。カッチャルには危険な岩棚上の不安定な個所もあるが問題になるようなところではない。以前ボク達がエナン・ツォから峠を下って来た峠、Mengla Bhanjyangの呼び名では、モェ村やシーメン、チベッタンには通用しなくてMengen Laと言われている。これはマリユンラもしかりである。国境付近の等高線の雪線は殆どない。モェ村、シーメンの人達はチベット側のゴシャル・ゴンパ参拝にはラル・バンジャンを使用する。この峠への路は急な登りは一切ない。モェ村の人達は牧畜で生計を立ててはいるが、近年チベットとの交易(密輸なんですなあ)が、主な現金収入で遠くはドルパタン、テイチュロン、ポクスムド、ナムコンへの行商を行っている。ジョムソムやドュネィ(ジュパル)などへの買い付けは殆どない。
 
↑画像をクリックして頂くと、拡大版でご覧頂けます。
クン・コーラの流れを渡り、パンザンコーラの右岸の路を進むとムシ・コーラへの尾根の鼻にラプチェがある。ここからの左がムシ・コーラ、右は本流のパンザンコーラ。
 
 
Chiyol Kholaの出合には岩小屋があって、遅れているカッチャルと荷物に付いているジャングル・カンチャ・シェルパを待つために大休止をした。TAKEが石を川床に投げて・・・、皆んなで立派な「渡り石橋」をこさえた。ジャングル・カンチャを驚かすために、橋に木槍を隠したり、弓矢を設置したり・・・して待つこと1時間・・・。

村の入り口を示すチョルテンを過ぎて、最初の畑から一面花畑の綺麗なところで、ルリのパンザンコーラを渡る橋手前のチョルテンで会って、ガイドを頼んでいたこの村の彼は約束を守っていて、村の入り口で待っていた。「約束の日に来たなあ」言った。「ジャパニは約束を守るのだ」とツルジムは答えた。彼はボク達を気持ちのいい村の上のキャンプ地へ案内した。
 
上のカルカから暗くなる前に年頃の女の子達が村へ降りて来て早速テントへ遊びに来た。「砂糖が欲しい」と言ってペロペロ舐めた。男の子はボク達に興味あるのだけど、お母さんの横から離れない、逃げ廻りる。小さい二人も一緒だったけど、年頃の女の子の中に、ニサルのドルジェさんの長女がこの村へお嫁に来ているといった。老人はお酒の臭いをプンプンさせて、撮った「写真の紙焼きがほしい」とダダをこねて・・・まるで「タニグチ状態」となっていた。

前の日へ  カレンダーへ  次の日へ