6月17日
夜半、懐中電灯が走り廻り、犬の遠吠えが聞こえて無気味な夜であったが何事も起こらず。ポーター米と砂糖若干、石油購入の為に本日は、この危険地帯でのスティ。カッチャルもポーターも荷が重く、軽減と米など130Kg増えるので、昨夕方に交渉したヤクはノブルカンのBCまで行かないと言う。キッチンスタッフ全員でド村まで買出し、シェルパとカッチャルドライバーのプルナは石油とカッチャル探しに出かけた。チャンバ・ナワン・ラマは蓄膿症で悩んでいてテントを訪ねたので、3日分の抗生物質を与える。カッチャルは結局、ノブルカンBCまで往路3日復路2日x550Rs、米は中国米25Kgx1500Rsx4袋。石油1リッター140Rsで10リッターしか買えなかった。夜中、ローソクでタイフーンのシュラフが燃えてテント内は羽が舞い、煙充満でひとり大騒ぎする。
 
少し手前のKahakarの村でマオバティの若者と別れてここで昼食を採った。右の谷を行くとトッキュー。スタッフ達は「とうきょう」と言ったので「おおさかはどこでっか?」と聞く冗談が出るので、マオバティなんかぜんぜん怖くない。対岸の右岸に渡るとD/スネルグローブも書いている「チャンバ寺」である。
 
ここのラマ僧はチャンバ・ナワン・ラマといい、このラマもすごく親切な人であった。蓄膿症で悩んでいるらしく「明日、テント場へ行くから薬ちょうだい」と言った。親切なラマは床のヒコミや穴が空いてるのでご注意を・・・と言ってくれる。髪は何年も伸ばしていて、ドザムのちょん髷おじさんとは結い方が少し違う。抗生物質を5日分与えた。
 
持金剛 Vajradhara(と思うけどなあ・・?)調べよう・・と。ミンマパのお寺
 
マオバティ集金人から頂いた寄付領収書=通行手形

2060/3/20 = 4th,July 2003 Nepal comminist party No.6 area Dolpa,recieved Rs10.000 from five Japanese trekkers during there trek in upper Dopla. I request to all let go everywhere.

まあ、こういった文面なんだけど、要するに一人様から2000Rs頂きましたので、マオバティのみなさん彼らはトルボの何処へ行こうともお通しくださいませ。これはBパーティのヨシナガはんらシェ・ゴンパで私が頂いた領収書ですけど・・・。同じ文面でございました。

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