29th.SEP
ダラダラした路、活断層の地形を通ると工事中の自動車道路に出た。
新ネパール五万分の一地図ではLomanthanまで道路は表記されているが、プレムさんの話ではSanbocheまで道路計画が進行中で村ごとに
1ラックの拠出金と労働奉仕が義務付けられている。とも言っていた。
トラクターなどの機械化工事ではもちろんなくて、手作業である。
工事用テントと人夫達が仕事をしている横を通って、小川で休憩。
馬方は「もう少し先に峠があってローマンタンですがな」「急ぎまひょ」峠は手掘りのシャベルの跡も生々しい土壁が数米凹状に掘られた横にラプチェがあってローマンタンと周辺、北のチベット国境が全て見渡せる所にあった。
W313はDang Mar6337mに違いない山裾が見えた。頂上は雲の中だけど・・・・。
ティツヒーの登った山である。ハーゲンの写真本にも出てくる秀峰が・・・・・・。
ここに来るまで調べてた山が目の前に見える?。いいなあー。
先発のTakeが「5星ホテルです。バラサーブ!シャワー付ですけど・・・・」
と騒いでるのを通り越して、王宮門横のポプラ並木の気持ちのいいキャンプ
サイドをキッチンスタッフは確保していて招いてくれた。
テーブル上にはミルクティが注がれていて、椅子に座りホッと一息付く。
樹林の間からDang Marが雲間から姿を現わした。
Dang Mar 6337mはティッヒーが彼の著書「無名峰の聳える国」の口絵写真に出ている。
シエルパと登頂後、夜半下降して仮睡眠してローマンタンに戻った。
赤い頭の意味する山である。トニー・ハーゲンの写真集にもローマンタンの東から撮った写真がある。
初めてこの山を見たのはS/ヘディンで1907年6月22日コレ・ラ(4661mと計測)へツアンポ河から僅か96mの標高しかない、
この峠に 到達した。ダウラギリT峰を見るために・・・。コレ・ラからの232 From pass
Kore-La.June,22,1907のS60WがDang Marを指しているだろう。コレ・ラから
彼らはNama-ShuのCamp182で泊まる。234のスケッチはローマンタンの北にある
山頂のゾンが描かれていたので・・・・・。
 
Dang Marの右手に見える6007m
 
王宮の北門から東角の左に緑のオアシスのようなテント場があり、奥を独占する。
手前の入り口に、私達の調査にクレームを付けたヨーロッパ人ひとり、
プラスACAPのバカども数人の環境調査隊?がテントを張った。
 
ムスタン王宮北側正面入り口
 
ポプラ並木が日陰を作る快適?なテント場とネパール製の昨年作成したパーソナルテント。

   BACK TO CALENDAR