28th.SEP

Ghamiのゴンパのブリキのし尾はもう少し丁寧に出来ないのか小学生低学年夏休み宿題工作1日前製作品のような品祖なものであった。Ghami Kholaの鉄の吊り橋を渡らず、その下の木橋を渡って新しく修理されたメンダン数百米と麻雀好きのK先生病院の前を通って、
奥山さんはツアーラン・ラと記してるがChingel(Think La) への長い登り口から、左手(Dhakmar方面への路)に大チョルテン
が見える。マンダリンバ・ゲル・チョルテンというと馬方は言った。
Sanbocheから一緒になったイタリア人二人組のチベット仏教研究者?だろう(本を2000冊持ってると自慢してたけど、
確かに研究 熱心な奴等で行く先々のゴンパで一緒になった)スネルグローブの日本語訳した吉永はんも「あいつらも俺より熱心な奴らや」と驚かされたほどの・・・・。峠ではE120〜E142までの山をスケッチ。
まあ何の変化のないやや下り坂とカリガンダキの左岸の等高線の全く変化のない飛行場かと間違うくらい「平」ら地形と活断層も
見つつ、峠のラプチェで休止。パイセルの本の表紙になってる大チョルテンとゾン、ゴンパが大きく見えてCharanに到着。
村長のゲストハウスに入りミルクティを飲んでるとお土産を売るおじさんがベッタリと付いた。屋上に上がって見ると中国製のソーラ
パネルを設置していたフランクに話しかける息子と談笑。
この家の前、路角に電柱が立っている空き地が河口慧海師が滞在していたニェワダワの家らしい。今はその娘親子が空き地の隣りの家
へ移り住んでいるらしい。とアンプルバが調べてきて報告した。
彼と家を訪ねたが親子は不在であった。ゾンとゴンパを訪ねる。
写真は禁止らしいけど1枚撮らせてもらったマハカラは小さいものだがなかなかの出来である。
吉永はんらは撮影用大懐中電灯を持ってひとつ、ひとつ壁画を見て廻っている。
ひとり2Fへ上がるとスノーレパードの剥製が埃まみれで吊るされていて、その奥の階段を上がると屋上に出た。
四方をDVCで撮る。ここのし尾もブリキ製で貧弱なものであった。
極西北ネパールのリミの谷 Haljeのゴンパのものは見事なものだっただけに・・・・。
 

   BACK TO CALENDAR