27th.SEP
SanbocheはShayangmochenと書かれてる地図もあるけど、 His Majesty's Government of Nepal,Survey Department.
first edition 2001(1:500009のもので、今回は全ての標高、地名と英文綴りはこれに基づいた。
ちなみに以前から発売されていたガネッシュ 以西はFor Westrenの2枚を含めて山岳部は合計48枚/80Rs/1pcs
で今年の10月初旬からオフイス左の発売所で正式に販売が開始された。
マナスル、ヒムルン、アンナ全域、ダウラ1峰から西とバブルン・コーラ 、ムスタン全域(除く2884-01のブリクテイ峰以西1枚)
トルボは西の アルニルチュリーとピンドゥ・B、マリン?Bとポクスンドとドー・タラップ。
マオイストで危険なドゥナイ、ジャルコットまでとジュムラからララ湖。
カリコツト、バジュラ、バジャン、極西はマハカリ河のダールチュラ。
計48枚である。
Sanbocheを7時に発つ。15分の登りでムスタンの案内には必ず出てくる大チョルテンのある峠 Sanboche La。南側には暴風壁が築かれて
いる。どうしてなんだろうか? このローマンタンへの路の峠の名前にはBanjyangという表記は少ない。
ここからGelingの方へ下ると地図は2983-16 Lomanthanとなる。
Lo-Manthangとは書かれていない。
Gelingのゴル派のタシー・チョエリンに立ち寄る吉永、水谷夫妻と井上らと別れて、若手は水平路から緑の草地の1軒屋のTama Gaonの
バッテイでヌン茶を呑んで、二つ目の大きな屋根付き大チョルテン (トルボの屋根付と同じ容であった)Nyi La 4010m
(高度計3850m)まで進む。
休んでいると吉永達一行がやって来た。長い下り坂から水平道を進みラツチェと出る。峠横の鼻の頭からGhami Khola上流の右俣のNaktan Kholaに懸かる大滝が望見出来きた。左俣はDhuya Kholaでトルボの境のAraniko Chuli (Arniko Chuli)6034mから南西に流れてChharkaへ
の川、Nakhkhem Kholaへ 横断する峠、Ghami Bhanjyang5660m(標高記載なし:名前は現地では違うし、 数年前著述業のM/N氏が越えているらしい。とプレムさんは言った)
この峠を越えて西へ出る吉永らの計画はACAP出没で立ち消えとなった。 まあ、これは堂々と越えれる事が出来ないけれど・・・・・。
得意の必殺技を発揮するには彼には体力的に無理だったかも知れない。
私達はメンバーもシエルパもポーターにドンキーが多すぎるし目立ちすぎる。 峠に立つと目の前に異様としか見えない日本人K氏の病院敷地が正面に見えて、 Ghamiの村と緑とゴンパが小さく見下ろせた。
昨日、訪れた洞窟の中のランチュン・チョルテンRanchun Cave(Ranchung Chorten Cave)は鍾乳洞で左側にこのチョルテンがある。
71歳になるクンガテンジン老師が奥山直司さんの本「ムスタン:曼荼羅の旅」表紙写真のままの姿で元気に私達を案内してくれた。
シエルパやポーターの一部も敬虔なお参りをして、何度も堂内を一巡していた。
鍾乳洞の一部を削るところがあって彼らは大切そうに布に包んでいた。
 
この洞内から見える峰は Phalkan Dadaの6160mであろう。
 
Sanboche Laから水平路を進むとこのピークが魅力的な姿を見せた。
Samarを過ぎてからも正面に見えたけど、少しガスが懸かっていた。
どうもまだ同定に確信がないけど、Damdar HimalのKhumjungar Himalなら6759mもある。
Ghilin手前の分岐からのコンパスグラスではE114の方向である。
帰国後のDVCカメラでのパノラマ、カメラでのパノラマ作成と同定は重要な事項として残しておこう。
 
同じ地点からのコンパスグラスはS185を示したピーク。
今回、どこでも私達を迎えてくれたアンナプルナI峰北壁です。手前は薬師岳?
そう薬師さんの「お山」ティリツオ・ピーク7135m(新標高7134m)です。

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