26th.SEP
GPS 2990mのCheleのキャンプでのダイニングはキャンプ地を提供してくれたお家の居間。ジャルコットから来たラマの読経が続く横で、ガソリンチャージャーによる発電で電球が灯った。今回はホンダのエンジンを2台持って来ている。
’99年にトルボで焼き付いてしまったのをカトマンズでオーバーホールして、空気調整もやって高所用にしてみたが、
今のところ調子がいい。1時間で灌漑池(GPS3180m)の横からの東のパノラマは Damodar Himalと手前の5000m台のTawa HImal
から東のPurkan HimalにあるPurkum6128m(E128)だろうか?。
Yakawa Kang 6462m(E149)はカリガンダキ右岸に延びる背後に見えた。 Chuksangのゴラ・ドライバーは(E112)に見えたピークをTeri Himalといったが、 これは持っているTrekking Map (Mustang 1:150.000)Shangri−La Maps にも出ているが(標高はない)。新地図2884−01はまだ発売されてないけど、 (2001年10月16日現在)持ってる地図は校正中で標高記載しかない。
名前の校正はこれから・・・・?。
馬方がこの辺りからの東の山を全てBhrikuti Himalといったけど、 ここから直線距離で40Kmも東にBhrikuti Sail 6364mはあって見えない。 一昨年この峰に登った石井清君からもKagubeniからのアプローチはずいぶん 長かったし、BCへ至る路は複雑だった・・・・と聞いていた。 OBAHANsが可愛いお嬢さんですねえーという茶店のあるサマルで昼食 をとり、チョルテンから一旦川床に降りて、急登にゼイゼイいうゴラの背にくらい付きつつ、Shhuryerのカルカから風の強い峠に立って、Sanboche Kholaの小型グランドキャニオン風の岩壁帯へ向けて、ここから急下降。
案の定、吉永はんは「お滑りになり」まして洞窟のゴンパ、Ranchun Caveを 目指した。小川からフーフー言いつつ、ヨタつきながら洞窟着。 スネルグローブやトゥッチも立ち寄ってたからには、どうしても立寄らねば。 吉永はんも僕のもうバテバテである。あの元気なOBAHANsらでさえも・・・。 拝観後、左にカシのカルカに使われている3つの大きな洞窟の横を通り Sanboche Khola上流へ出て、風の吹き抜けるSanbocheに4時頃到着。 夜半は冷たい風が吹き、寒いキャンプ地であった。GPS 3810m この宿にはメンバーそっくりの「お猿さん」がいた。
ここから見えるYakawa Kang 6482m西壁は魅力的な姿である。
左のだらしなく雪のつけたのは峰はDamodar Himalの南端にあたるPurkhung 6120mだろう。
 
サマル Samarの村はポプラの緑があって、コスモスの花が満開で
お茶を飲んだお家には、タカリの美しい娘さん?が接待してくれた。
村の出口に、この連座チョルテンがあって、大きなタルチョが音を立て風に立ち向かう。
 
Sanboche Kholaの谷底から左岸の岩記号(Muktinath2883−04)が
この景色である。背後の黒い山はLo Mantang東のチベット国境である。
 
東側を見るとKhun Dadaから、丸あーるい雪山、Gangri 6115m、奥に国境は90度東にはしるが、この付近には6000m
そこそこの山が3つあるだけで、手前のDamodar Kundaの方が有名でヒンドゥーの人達の聖地でもある。
インド人の金持ちはポカラからヘリコプターでここまでやってくる。もちろん彼らはパーミット持参不要?。

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