LIMI's Growth Diary (31.May.2004 No.32)
 

5月31日

バラサーブは去年の今頃はカトマンズにいたなあ。カンティプール紙のURLを見ていると昨日はリングロードでバスが爆破されたニュースが流れていた。政情不安なネパール、益々混迷を深めるマオバティと体制派は一体どうなるのか?ところで今夏はムスタン・ダモダ-ルヒマールへ来週から東京のI君らが出かけるし、JACの東京の学生達も出かけるらしい。今年もムスタンへ入山する人達が出てきて嬉しい限りだとゴキゲンなバラサーブは、蒸し暑い、土曜日に僕を洗髪してくれた。我家のお庭の巨木(?)伐採作業をメンサーブとやり「ブッ倒れた」。そこへネパール人の子供を救うのだとバンクーバーの知人からのメール。また今週日本にやってくるらしい。エコノミー症候群にもならず、健康的体系の臀部が座席を狭くしていて「身動き出来ん」と嘆きつつ、ボランティア活動で病院と医者を探し、融通の利かないネパール人医師達と交渉して、何とか話をつけた。「偉い!」「凄い!」の二言である。世の中にはこんなことが出来る人達がまだいるのだね。バラサーブ達が今夏から秋にかけて出かけるチャンタンの登山隊の見積が西蔵登山協会から先週末送られてきた。パチュムハム峰とギャンゾンカン岩峰の2座の登山料は10700USD、トランスポートと何やかや一切合財で TMA諸費用50400USD、 Sherpa1000USDx4名でトータル65100 ドルと言ってきたので、キンチョーしつつカルキュレーターを叩くが桁が間違うほど気が遠くなる金額で。「端数をとれ」と言っても仕方ないし、「まけろ!」と言っても、「どこをどうまけるのだ」と言われそう。でも根気、良く気長に説得するかあ・・・と言っていた。そんなバラサーブもこの頃、何かと忙しくて、先週はホンコンへ出かけてた。ただ中華食ってただけで、メンサーブも食い気で活躍してたらしいがいつも近くのホテル?へ連れて行かれるので彼らがどこへ出かけるかは帰ってくるまで解らない。帰国翌日からバラサーブはSeoulへPark Young Seok君を訪ね、まだ転勤、5日目の「山の会会員・三森」も付き添って、ゴアの雨具やシャツなどの寄贈と祝杯を上げたらしい。Park君とは我家で何度か会ったが僕を見て「うまそう!」というジョーダンがキツイやつである。去年は北極は失敗したけど、南極点には立った。なんでも今年末は再挑戦するらしいがロシア側からやめて、ノマールなカナダ側からにしたらしい。彼の良い所は犬橇を使わないところにある。彼もUm君に数ヶ月遅れて14座に立ったらしい。
 
相変わらず僕を挑発して「噛んで!噛んで!」いうもんだから。こういう風に噛んでやると急に怒り狂って狭い我家の庭を追い駆け回して「バロー!やにしやがんねん」と怒鳴り散らす。そんなんやったら初めから噛ますなよなぁ、おっさん。あと2ケ月間、思いやられますわ!。
 
有名なビクトリア・ピークに立った。以前ヨシナガはん達と来た時は工事中であった。95年のウルキンマン峰の帰りだった。冬のアマダブラム峰の時も来たと思うしなあ。老師がなぜか参加者を仕切っていた。「今日の昼飯は何んや?」左にいるY先輩も「中華やろ?間違いなく?」と・・・・・・。
 
ホンコンの有名なゴンパに立寄る。ラマはいなかったけど敬虔な信徒達が大勢いたので、バラサーブはつい「線香」を求め、同じような姿で直立不動の姿勢をとった。

 
双胴船に乗って数名でマカオへ渡った。街ン中を観光して、ワインハウスの隣りのマカオF1レースに参加のレーシングカーが飾られていた館を見学。そう言えば、そんな車を運転するというUKYO Teamの登山隊ともKTMで会ったなあ。
「あ!そやバラサーブ! オクダはどうしとおるねん?」
「今週はネパール語の試験や言うてたけどカトマンズでボケ-としてるんやろなあ?
アイツ!」


里絵琉ちゃんがやって来た。お風呂へ入れたけど、疲れがド・ドッと来て・・・・。


南極点に立つパク君達は許永浩(Heo Young Ho)らの南極点到達より遅れること10年。二番目に今年の1月15日到達した。


東国大学山岳部卒業、1989年春。ランシサ・リ単独が始めてのヒマラヤ。14座、7大陸高峰登山、3極点(北極失敗)、 韓国ノースフェース(韓国ゴールドウイン社)、ソニンボン・登山用品店街経営 1963年11月2日生 1男1女、現在家族はニュージランドで生活。今年の冬、カナダから北極点徒歩をめざす。