LIMI's Growth Diary (24.March.2004 No.30)
 

12月20日

2月最初の日曜日、お決りのようにRA機はやって来なかった。結局、出発が1日遅くれでリンクータゥンのANAタワーホテル泊となったらしいけど、僕もお二人が留守でホテル住い(1泊5000円也)をさせられていたのだ。翌早朝に搭乗したバラサーブとメンサーブは機内にあった”Shangri-La”Jan-Mar2004:Vol.14に極西北端のリミ谷の紹介があって残してきた僕のことを思い出し涙流した?と言ったけどホント?かなあ。今回の訪ネはポカラ山岳博物館のグランドオープンの式典に参加することにあったらしいけど、結局は遠巻きに式典を少し見ていただけで、メインイベントのI夫人チャーターヘリ搭乗でマナスル見物お山説明が最重要の用事で、付録でプンギ峰とツラギピークの西面を見ることだったらしいのだ。2月中旬には韓国から14座登頂者のガッツ・オム君とビニちゃんのお父さん、旧友オーさんらがやって来て、またバラサーブは行方不明となってしまった。そこへ西チベット登山の準備なんかでチョー忙しくしてる。60年代の昔のこと、中国の紅衛兵の若年達がタゲ・ツァンポからラプチェ・バンジャンを越えられず?ハタマタこんな所に村人が住んでる?と信じられずにいたからか?僕の故郷のリミ谷の村とゴンパは幸運にも彼らに壊されずに済んだ。すぐ近くのプラン側の広くチャンタン、グゲ周辺の素晴らしい文化を壊した中国人達と最近は急にバラサーブは親しそうに「ニイハオ」「ウォヤオ・カイスイ」なんて北京語を喋ってるのだ。先日もTMA4人組が来阪したとかで招興酒など呑んで・・・・ホント勝手なお人なんだから・・・。話は変わってRielleちゃんの宮参りなどの行事とメンサーブのお誕生祝いやバラサーブのお誕生会、日ネ関西ロビーの映画会「チベットの女:イシの生涯」など連続技の行事を終えてCanadian Rockiesへとヒロッタンらと飛んだ。
おっさんにとっては’66年、’00年以来3度目のCanadian Rockiesであるらしい。
Kelowna(カロウナと正しく発音するのはカナディアン)の加藤ドンさんちへも寄ってBig White Ski Resortという超広大なスキー場で午前中は滑降を楽しみ、午後からはVintage Hills Golf Couseでワンラゥンド廻って楽しんだらしい。バンフではSunshine Ski Resortの広大なスキー場やCanmoreのBow Vallyでのアイスクライムもしてご帰国後、すぐメンサーブとBeijingへ飛び、「万里の長城:八達嶺長城」周辺ハイクキングとCMA表敬訪問をしたりして、『中華料理もう頂けません』状態となったらしい。
相変わらずバラサーブは何か忙しそうである。ご機嫌もいいので安心しているけど時々やはり怒り狂う「カトマンズの大津兄ニイほどでないけど・・・・????」のだなあー。
まだ禁煙は続いているが、禁酒から節酒に今月から移行してしまった。これ心配アルよ!。
 
 
さて、久しぶりに登場しますが、今回の成長記録は僕の登場はたった1回のみ。
 
  2月の寒い日、我が家にもボタン雪が積りました。さぁーむい朝でありました。
     
 

リミの谷はタクチェ・コーラと言う名前が付いていますが昔からリミ谷と呼ばれています。流れの背後の雪山は北大隊が登った5896mのピークで右のコルを僕達は降りて来た。Aaaのチョルテンはハリジェ村のゴンパへとマニ石が続く路にある。

RA機内雑誌  ”Shangri-La”Jan-Mar2004:Vol.14から


画像をクリックして頂くと、
  拡大版でご覧頂けます。
 
 
画像をクリックして頂くと、
  拡大版でご覧頂けます。
 
 
(ネパール編)
2月2日(月)のリングロードはバンダ(ゼネスト)で交通渋滞皆無で排気ガスもありません。
 
   
ポカラのフィシュテール・ホテルでルームキィーを配布されるのを「あーでもない!こーでもない」と揉める大人達・・・・。   ポカラの超高級ホテルのフルバリの庭にはゴルフ場があります。コキーンと快撃を放つメンサーブ
  ポカラの博物館入口近くにこさえられた新マナスル峰(鉄筋コンクリート製)雪はペンキを塗ってる。何でこんなものをこさえたのかなあ?
 
  I夫人はロシアンヘリの窓が開けてバラサーブは撮影してるものだから、調子を 崩すのは良くないとタジカが酸素マスクを付けた。たちまち元気になってピースサインを投げかけた。
 
 
マナスル南面とツラギピークの南西壁が正面に見えて、ダナコーラの谷が深く入り込んでコルとなり、右の大きなP29南西壁が圧倒的に大きく目の前に見える飛行コースをロシアン・パイロットに前日会って頼んでおいた。
 
ナガルコットの丘にて・・・、なぜかオクダがお山の説明をしてる?
 
(韓国編)
 
     
道頓堀 JMA海登研の講演にやってきたKorean Himalayan Climbersはミナミが大好き。オー君、オム君、ムンさん、ナン君 みんな20年くらい前からのバラサーブの知り合いとかで、「お前ら何回目の来阪やねん」「アイゴチュケター!モリアプタ!」
  Um君  「おーぃ!ちょっと騒ぎ過ぎやがな」 「しこり過ぎちゃいますか?」「脳ミソ、パンクしまっせ」
 
(カナダ編)
 
キャンモァのセメント工場の北側の谷に入り、車から40分、ルンゼにかかる氷爆を登る中村、右の男はカナダ人クライマー達。   ‘66年のバガブーは静かであった。カナダ人のヘルムート・マックロイとスノーパッチスパイヤーを登った。早いシーズンだったのでベルグラが張っていて、2mの大男の彼は1mのオーバーハングを左手一本で越えた。
 
 
   
加藤ドンさんちにはお庭にジャグジーがあって真冬の寒気厳しい時ほど快適なのだ。普通は水泳パンツを着用するのだが、スミヨシ老は露天風呂なので日本人らしく・・・・・。眼下にオカナガン湖を望みながら快適な湯であった。
  カナダでウイスラースキー場についで設備、大きさ、宿泊者数、ダウンヒルコースの多さ、長さが素晴らしい。快晴の中を6本のダウンヒルを楽しんだ。アッちゃんは終了寸前に疲労骨折となり、杖と車椅子のお世話になりました。
  バンクーバーでみんなでお食事会をした。ナナちゃんとはオーロラ以来だが、お母さんのタジカとは最近、大阪、KTMと良く会うなあ?仕事頑張っとおる。
 
(中国編)
 
 
3月末、カナダから戻り、翌日からCMAへ用事があって・・・・。メンサーブもついでにやって来た。以前行った万里の長城は居庸関、今回は八達嶺長城という所にした。ここは長城がこの辺りでは高い所にあって景色がいい。