LIMI's Growth Diary (25th,Feb,2001 No.5)

2月25日(日曜日) 朝早くから、バラサーブ・タイフーンは急にシャンプーをする。 と騒ぎまして、本人もずぶ濡れになりながら 全身シャンプー をして頂きました。 近所迷惑もはなはだしい日曜朝の大騒動となりました。

「オおーい!お湯!」とバラサーブ・タイフーンは騒ぎ、純子さんは その都度、バケツにお湯を運んできます。
「アチー!」「熱いやおまへんか!」 「アホ!少々熱いの我慢せんかあ」と訳の解らんことをいいつつ 朝シャンをして頂きました。

「では、お散歩して乾燥させよう!」とバラサーブ・タイフーンがいい。 「それはグツドアイデアですねえ」とメンサーブ・じゅんこさんは答えて 「MADE IN USAの犬用Tシャツがある」ともいいました。 「誰が着んねん?」「まさか僕が・・・・・・」

最近、チベツトではTシャツを着る若者がいます。西ネパールの私の ふるさと「リミ谷」でも、中国製のTシャツを下着に着る若者が増えてきました。 中国政府は西チベツトの要所への近代化の波を広げて、私の村の若者にも ずいぶんこの影響を受けて、服装や食物などの中国製のものが手に入るよう になりましたが、まだ犬にTシャツなんか着せる習慣はありません。 この朝はやや冷え込んだ大阪狭山ですが、僕には丁度いい快適な気温でした。

僕と同じ犬の写真が載ってると純子さんにバラサーブ・タイフーンは見せました。
(参考写真)
Sven・Hedinの最後の探検、プラマプトラ川の伝説上の水源、タムチョク・カンパを 無視して、水量の多いクビ・ツアンポを源流とし、インダス川の場合流量 の多い方を 避けて伝説上の水源を選んだ。もし順序を逆にしたとすれば両水源の位 置は変わ ったであろう・…。
この探検を終えた1908年8月、シブキ峠を越えてチベツトとの別れを告げた時に撮った記念写 真の右前方に僕の曾々々祖父が写っている・・・・・・ と。
J・Snelling"The Sacred Mountain,London and Hague 1983 C・Allen "A mountain in Tibet"1982 Londonなど。
宮持優訳 C・アレン著「チベツトの山」未来社 1988 D・Snellgrove/H・Richardson共著のA Culturad History of Tibet,Prajna Press,Boulder 1980. 奥山直司訳「チベツト文化史」春秋社 1998 の口絵写真77 ツアン州の村の女、家の前に番犬をつなごうとしている。
この犬も親戚ですかねえ?

どう?この素敵なTシャツ…。かつこエエですやろ!
「Big Dogs」ブランドのアメリカ製でつせ。
今流行してるU社の安いのんとちゃうのよ!
それにしても、この夫婦アホちゃう?Tシャツなんか着せやがつて!
恥ずかしゆうて、明日から「お散歩」出来まへんがな。
キャツホー!わーあい!久しぶりでんねん。こんな山ん中を 走れるのは・・…。
 メンサーブ付いて来なはれや・・…!
それにしても、僕と殆ど身体の大きさ変わりまへんなあー。
「おい、ここは大阪狭山やねんどおー。俺のいう事きかなアカンやないか」
「フン。おつさん何言うてはりまんねん」 「お湯はかけられるし、あっちへ行こう言うたらこつちや言うし・・・・」
「ほんにアンタはんは勝手な、お人や」 「ぼちぼち行きまひようか!リミ君」 「機嫌とんなおつさん」
「僕、もうちょつと休んどくから・・・、勝手に行きはつた ら?」 「それ誰に言うとんねん」
「・・・・・・・・」「すぐ怒るんだらか・・・・・バラサーブは」