金沢健隊長、大西副隊長、 (隊員)三谷統一郎、山本篤、大西宏、中西紀夫、黒滝淳二、堀弘、高橋堅、安藤昌之、吉村哲明、塩田純一、桑原信秀、後藤健二、中村穣治、八橋秀規、二俣勇司、榎井克明、柳原武彦、堤信夫、高尾馨、西平恵子、成田涼子、金沢明子 (サーダー)Pertemba, (クライミング・サーダー)Ang Phurba,他14名 大阪山の会から大西、西平の2名が参加。 7月末から8月上旬にかけて、隊荷、隊員は陸路と空路に別れてキャラバンを開始して、ペリチェ、ロブジェなどで高所順応を行い、8/18日から25日にかけてBCに入った。 27日にBC開きを行い、翌日からCT(6050m)までのアイスフォールのルート工作に6日間費やし40本のラダーを使用した。 その後補修で10本追加。 9/2に到達して翌日CTを建設した。 9/4にはCU(6450m)に到達し、5日後にはキャンプを建設した。 CV(7300m)までは2日間で到達。9/17に建設した。 CVからサウスコル上のCW(7906m)迄も2日間で到達し、固定ロープをベタ張りする。9/19には4人用テント4張りによるCWが完成した。 サウスコルへは西平を含むメンバー16人が無酸素で荷上に従事し、9/25には登頂体制が完了した。 悪天候が続き、ローツェフェースは連日チリ雪崩が襲い、隊員が流されるハプニングも発生し、切れたフイックスロープ補修に追われる。 サウスコルでも積雪のより、除雪に苦労させられた。 10/5第一次アタック隊の6人がCWを出たが8200m付近で板状雪崩に遭い、断念してCUまで下降した。2日後再び他の6人の第二次隊も同地点で雪崩に遭遇しCUまで撤退する。 翌10/12 大西宏、山本篤ら7人の第三次隊がCWに入る。雪質をチェツクするため大西宏、山本は往復して、翌10/13午前2時アタック隊は頂上に向うが、三谷統一郎、大西宏、山本篤、のチリン・テベラマ、チュルディン・ドルジェの5人が12時32分登頂。 10/15 第四次隊7人 (内3人は無酸素)が頂上に向かったが、強風のためサウスピーク8500mで断念。 これをもって全ての登山活動を終了した。 (金沢健:岩と雪、山岳年鑑'90より) (報告)カトマンズクラブ通信、九州歯大学友会会報、 Back |