クーング山群、タウチェ峰6501m日韓合同冬季合宿登山隊 '85/86冬

大西、中村広、中村輝、森実、入沢、門元、大西努(以上日本側)Oh In Hwan,
Heo Young Ho, Lee Bong Hun,Kim Tae Sup,

12/21 KTM入り、24日 ・ヘリ2機で中村、森実、入沢、門元4名と隊荷をシャンボチェへ飛ぶ。29日ペリチェ。31日ABCへ荷上げ。1/1よりルート工作開始、東南稜へ出るべく東南壁の岩とアイスフォールにフィツクスを張る。
一方、韓国側メンバーは12/26にKTM着、数日豪雨とルクラの積雪のため天候待ち、大西等と1/3になってルクラへ飛ぶ。
1/5にペリチェ着、翌日ABCへと上がり事故を知る。
日本側先発隊は、1/5門元トップで中村広、森実が続き東南稜へ出る数m下の雪壁を登攀中の門元はルート上の雪屁が崩壊して墜落、フイックスと確保のザイルが切断して墜死する。翌日より韓国側隊員と遺体回収するも、遺体は800m下、オーバーハング岩壁下雪壁にあり、遺体回収出来ず日本側は登攀を中止を8日に決定した。
韓国側隊員許永浩君とアンプルバ()の二人は、ABCから10日アタック開始、11日東南稜上6000mでビバーク、翌12日午後2時に頂上に達した。
この事故報告は次の報告書に詳しい。

[5800mその時、青春]大阪山の会編。[ともに生きて]東京都立大学山岳部編

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