11th,AUG.
  
さて、10ケの間道の内、マリン(マユン)バンジャン迄は東からカンクン竺貢拉(ツクンラ)から
ピンドウ・バンジャン平都拉(ピンドゥラ)間は 8.5Kmものゴータンヒマールが続いているが、5834mが一番高いだけである。
ピンドウバンジャンからマリン(マユン)バンジャン間は 25Kmもの距離が続く。
29 16 25N 83 28 00Eから国境は北に直線で約16.5Km延びて、
29 25 20N 83 24 45Eから北西に直線距離7Kmでマリン(マユン)バンジャン。
ここも同じくゴータンヒマールと呼ばれ、最高峰は5898m 29 25 20N 83 24 15Eにあり、6座の5800m台のピークがあるだけである。
メンラバンジャンまでも同じゴータンヒマールと呼ばれているので延々約33kmも続いているのである。
メンラバンジャンからラルバンジャン間は19Kmで、直線 17Km北西への国境は凸にラルバンジャン
凹を越えた西にこのクンバンジャンがある。ここまでの最高峰はラルバンジャン西の5850mでしかない。


バンジャン踏査もあと二つ!
さて!今度のクン・バンジャンを慧海師は越えたのでしょうか?
本来の目的は国境の山と峠調査なのだが、やり玉に上がってしまった根深氏には、ご迷惑な話で申し訳ない。
ついでに慧海師越境峠はどこ?が出てきただけでして……・。

慧海師がどこかの峠を越えたであろうと思われるけれど、これまでの峠を越えたとは思えない。
どうも慧海師の全ての記述に合致しないのである。

シエーゴンパを周ったか?周らなかったか?
それで、越境ルートは異なるのは当然だと思う…。
ここでは、慧海師がドルポ(ツアルカ)、セー(セエーゴンパ)に参詣すると 「第十六回 高雪峰の嶮坂」で記しているので。
周ったんやろう? 慧海師がセーに立ち寄った説に基づくと………・。

二度もマリユンラ(マリン・バンジャンが正しい地図表記である)をお調べになった根深氏には誠に残念な報告となるが
この峠ではない。 喩え、もし、仮にシエーゴンパに立ち寄らなかったとしても、
ナングン地方へ立ち寄り、ナムグンゴンパやサルダンなどの寺を巡礼したのであろう。と根深氏も記している。
ナムグンに来たならシエーゴンパは1日〜2日の距離の所にある。


「慧海師の記述」
私は朔日の朝(7月1日)彼(ポーター)の去るのを影の見えなくなるまで見届けまして
ソレから八貫目許り荷物を背負ひ桃源郷には進まずに豫て聞いてあります北の山の間へ進ンで参りました
是からは實に言語に盡し難い程困難を極めたけれども山は夫程厳しくなかッたです。
突兀たる岩抔は誠に少なかッ たから割合に安楽でありましたけれども何分雪の中許り一人で進ンで行くですから堪らない、
夜は雪の中へ寝た

……・(略)

磁石を便りに豫て聞いてある山(ダフェソイラ峰かな?)の形を見ては段々北へ北へと進ンで行きましたが
聞 いた通り少しも違はず荷持と別れてから三日路を經てドーラギリーの北方の雪峰を踏破し
いよいよ西蔵とネパールの國境たる高さ雪山の頂上に到達することが出来ました。


ツアルカからドーラギリーの桃源郷へ行く。と言ったのでモーラ・バンジャンへは行かず、
バブルンコーラへ下り5Km下流の右岸からツクチエン・バンジャン へ上がり、ドウー・タラツプ村に出て、
ヌムラ・バンジャン(サウス)か同(ノース)を越えてランモシア・バンジャンからセラ・ムクチュン(サウス)に出て
シエーゴンパへ出れば約4〜5日で着ける。休養もしくは逗留しつつゆっくり行っても6〜7日でナムグン地域に入る事は可能だ。
シエーゴンパへ寄らなければ、そのまま北に進みジェンラ・バンジャンから ナムグンコーラへ下るだろう。
この谷を目標のダフエソイラ峰(パチュンハム峰) としているなら、シーメンへコマへの登りから東に進まない。
ダフエソイラ峰(パチュンハム峰)を見ながら、磁石を頼りにパンザンコーラへ下りニサルに達する。
この行程でニサルに出て1日逗留。翌日、クンコーラに入谷して、どちらかの峠に?
ふむふむ!匂うなあー!!!この谷が……・。

根深氏の断定で7日間もしくは10日間で、ツアルカを出発してシエーゴンパを巡礼して
テインキュー(テンギユール)に着けるかという問題である。
とあるのだが残念ながら慧海師はテインキューには行かなかった。 行けなかった。の方が正しいのでは。

多分荷持(ポーター)にドーラギリーの桃源郷へ行くと言ったのはシエーゴンパを出る日なら、
セラムクチュンで彼とは反対側の北のナムグンゴンパに向かったか。
シエーゴンパに寄らなかったのなら、ダフエソイラ峰の見えるジェンラ・バンジャン付近の目標の山が見えてから行ったのかも知れない。
いずれにせよ、朔日の朝(7月1日)慧海師はナムグンコーラを下り、
目標のダフエソイ ラ峰(パチュンハム峰)を見つつ北へ進み、パンザンコーラに出てニサル村に着いた。

テインキューへは目標の山から遠ざかるのだから。
でも、これはあくまでダフエソイラ峰(パチュンハム峰)が目標の山と仮定されてるのを忠実に歩こうとした場合なのだが。

この山が見える所で出会った人はダフエソイラ峰は知らなかったが、パチュンハム峰は多くの人が知っていた。
それとスンジャルゴンパの背後の頂上に■状の岩がある山ヘコピ−クも目標になるのだが…・?どこからも見える。

このクンコーラで一番多くの交易商人達に僕達は出会った。
10人の軍団風密輸買出部隊。 二人組の若者が2パーテイ。男女の5人組と若い女性達3名。
その殆どがナムグン地方か らと通訳したシエルパはそう答えた。
10人の買出し部隊は29 34 37N83 08 40Eの池に出る広場のカルカに先行して泊まっていた。
全員がゴラ(馬)を連れていてジェンラ・バ ンジャンを越えてムルジャン(ムグジュンと聞こえるが…?)から来たと言った。
このナムグンコーラ方面の人はクンコーラを通る。

クン・バンジャンKhung Bhanjyang 5411m (中国名:孔拉) (14国境標識) 29 3705N 83 09 40Nまで
一個所岩棚があって下馬するが、あとは何ら問題となる悪場はない。
国境標識のある所までネパール側にチョルテンがあり、浅い小さな水溜まりがある。
500mぐらいの巾広の平らな峠でチベツト側への降り口に国境標識はある。
20度の方向に、長方形のパンツァオ・ポカリが29 40 07N 37 10 47Eから1300mの長さで、続いて丸池。
丸池ではないんだなあ。クンツオ・ポカリといい菱形。途中に乾し上った丸池状の三角州 状の所がある。
ロシアンマップは 78N 08Eのクンコーラと表記されている所は間違いで、北東に路記号がラル・バンジャンに記されているが、
これは岩記号左の谷に北上して 5961mと6100m北に湖の間へTの文字から北へ
ГАーХИМАЛと書かれたМとАの間を抜けて池が表記されている個所へ路があり、これがルンチュンカモ・バンジャン。

クンブと地図に表記されている所は草もあって、広場で宿泊出来る丸く石積みのカルカがあ る。
ここから少し登ると最初のチョルテンであった。チベツト側のチョルテンからは急な下りがある。
標高差500m、距離8Kmのクンルン・コルサを下る所と、パンツァオ・ポカリの長方形がある。
丸池(三角州となっているが)続いて、左岸から見ると菱形(瓢箪型)に見えるだろう1Kmの池が続く。

ここへは大阪の指令で近づかなかったけど、来年2000年夏にチベットの許可で付近を調べる予定になってる。
老婆のテントへ…・。白巌窟のゴンパがここから北西に降り、
西に1日12Kmから15Km辺りのルンチュンカモ バンジャンへの谷かダフエソイラ峰(パチュンハム)南東5.5Kmにある
地図表記では無名峠(ポエ村の交易人の言う、通称ヤンブル・バンジャン)
チャユマチャ・コルサへの谷の出合付近に白巌窟があれば…。クンバンジャンを慧海師は 越えたに違いない。

根深さんマリン・バンジャン(貴方の言う、マリユン・バンジャン)から慧海師は越境 したというけれど。
チベット側は峠からの記述に基づく踏査では湖の数と形が違し。
元はあって干からびた瓢箪池からはだんだん下って雪山が見えて、その西北の方をみるとテントが二つ三つ見えて いる。
と慧海師は書いているけど…。

ここが大きく違うのだ。どんどん上へ上へ小さな丘の鞍部をめがけて小1時間登っても、目の前には雪山はみえない。
背後にムスタン国境の雪山がみえるけど…。
1日半の所に(ネーユ)という地名の放牧場があったらしい、白巌窟が……。
ないんだなあー、この白巌窟が。

ネパール側のケルンから7〜8分小さな浅い池横の路を進む国境標識(14)に行き当る。
3つのケルンが国境沿いに並んでいて、僅かコンパスグラスで3度の空間にチベットの山並みがあり、
遠くに湖は見えて、その奥にヤルツオンポの流れが陽光で光っていた。
ケルンから150〜160mも下るとなだらかなクンルンコルサ と流れがあってパンツァオ・ポカリ、クンツァオ・ポカリへと…・・。
(PHOTO:1)

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チベット側を見て往路を戻ると、ガスが切れてクンコーラの右岸の低い山並みが見え、
下流の遠くにコマからサルダン方面の風景が見えた。右端のガレ場は5795m チベット側の山で中腹を国境線は走っている。
裏側へトラバース気味に廻り込んで次の峠。ルュンチュンカモバンジャンの上の峠へと進んだ。(PHOTO:2)



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