28th,July

7月28日 Talung −− Simikot ==Nepalganji==KTM
昨夜の夕食は食糧係の藤本光、井上とコツクとで バーベキューと決めて、あまり肥えていない羊3500Rsで 購入した。フムラカルナリ沿いは今は羊達をダサインに 向けて山へ放牧に出し、丸々とおいしい肉にするための 準備で購入は困難。ちなみに今回は11頭の羊達が私達 の犠牲になった。1頭、3000Rsから4500Rs。

そのバーベキューの串差し完成後、バラサーブ・タイフーンの一声 でマカロニ・カシ・シャクパに変更となった。 生肉に群がる蝿の多さに「みなさん、あと1日。半焼き生肉は 良くない。サラダも良くない。変更!変更!」と半狂乱態でわがまま隊長は叫んだ。 「そうだ!そうだ!賛成!賛成!」と生真面目メンバー達は従った。 「良かった!大好きなシャクパが食える」とタケも同調したので・・・・。 「ヨガツタ!良かつた!」「お腹一杯にして寝よおっーと」とシエルパ達も笑った。

キャンプから2時間半でシミコツトへ行ける。とアンプルバは言って先行した。 「バラーサーブさま、ご到着まで飛行機は待たせておきます」とも言った。 「よんろーーしーい」と答えたが・・・、メンバーには内緒にした。 みんなは今日はシミコツト泊りと諦めつつ歩いていた。 本流近くから路は900m以上も上る。これは辛いものがあります。ホント! 殆ど失神寸前状態で峠のケルンに到達した。 藤本夫妻も殆ど疲労衰弱死寸前で峠でチャパテイを生温かい水で流し込んでいたが、 下の空港に飛行機は鎮座しているのが見えた。 「きっと、アンプルバが待たせている飛行機だ!」 で、彼らに伝えず、追従するタケにも悟られないほど、超げんき、めずらしく急降下 状態で峠を下る。 途中、「どうぞ!空港に直行して下さいませ」とシエルパは私を誘導し、先着の水谷 さんの 勧めるビールも躊躇気味に振り切つて、若干足早やにアンプルバに近寄り・・・・ ・。 「良くやった。飛行機は私達の・・・・?」ゼイゼイいいつつも沈着冷静に問うた。 そして、「イエツサー・OKサー」の声を確認したのであった。 やがて、この状況を悟ったのか遅れていたタケ、藤本夫妻到着、隊員全員と シエルパ4人だけが機上の人となった。

この日から1週間、シミコツト・フライトは雨のためにストツプした。 ようやく、アンプルバと全荷物カトマンズに着いたのは8月4日夕方となった。 5日のRAで水谷夫妻、新井、佐藤。12日大西帰国。 ジョムソントレツクに出かけた藤本夫妻、赤山、井上は22日。 アンプルバとツルジム・ヌルはタイフーンの招待で同日便にて日本に。 タケは名古屋山岳会ダウラギリT峰登山隊に参加のため居残り、23日 到着の谷口守、30日着の木本哲、中村広と隊長の鈴木孝雄と名古屋の 仲間達を待った。

「これにていつけんらくちゃく!」 「らいねんにつづく」

Talungの村。シミコット以西のフムラカルナリで一番高度が 低い村でキャンプのTsuring Khola は GPS 2362m N30 00 267 E81 46 112
蝿が異常に多いし、こいつらの小さいのが肌を刺す。藤本が買った中国ビール のラサビールは200Rsもして・・・・。と水谷が嘆いた。
帰りのSimikotの空港。ピラタスが1機待機しているのが見える。 RA以外の民間航空会社が、今年から沢山飛んでいて食糧、水道、橋梁資材など ネパールガンジ、スルケツトから天気が良いとどんどん飛んでくる。 ロシアンヘリも荷物を積んで・・・・。 今年はここフムラ県で餓死のニュースは消えた。昨年までは春の食糧飢饉で 年に何百人餓死が出た。民間航空会社の乱立で輸送の競争が盛んとなり、 おかげで荷物が容易に運べるようになった。ジュムラの空港もコンクリート工事 が始まり全天候型の空港になる。中国側からの道路輸送も盛んとなり、西ネパール の奥地にもネパール米など逆輸入品が容易く運べる輸送会社が出来たおかげで どんなところでも食糧が豊富に供給出来るようになりつつある。 今回もネパール米は奥地のリミコーラでも、フムラのどの村でも購入可能であった。 Tilの村にも橋梁機材のヘリコプターが飛ぶ時代だ。 ロシアンヘリの競争も7人+荷物の法律改定の話もあるし、時間あたりの価格破壊 もある。ジリ=ルクラ、ジリ=シャンボチエ便のヘリ輸送もその一例だ。 西ネパールへの接近路はヘリの時代到来でポーター確保と賃金計算をすれば この方が得策なのである。でも歩くのも悪くはないけど・・・・・・。
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