3rd,July

Saje Kholaのテント場から渡渉をして(もうこれで何回目か忘れたけど、 朝一番の冷たい膝迄の渡渉はイヤになる) メンバーは
「ああ今日もかあー」とややヤケッパチ気味流水に入る。 でも要領いいバラサーブ・タイフーンにはいい味方が付いているのだ。 往復して来たカンチャ・ダワが「バラサーブ、どうぞお背に・・・・」 「ヨンローシイ!」「デレデレ、ラムロ」と誉めつつ、
「靴の先が水に触れる」 と騒ぐ。横に付くタケは「オットト…お尻に水が!」と言いつつカンチャに 注意を促した。そんなこんなで一気にメンバーの先頭に立った。 真西に尾根を越えて、一本北側のGyo (Jokila) Kholaへの近道をして、 (7/2) 中国地図の5454mと記してある右岸の広場にキャンプ。ここには 前々日から3回、カトマンズポーターによって荷上は済ませて、ツルジム 一人、昨日から上がっていて留守番していた。ここから、すぐに4930m(6-9)と中国製地図にも表記がある二股に到着。 左に行くと 7/9 Haljeへ縦断したテント場で本流の方に入る。1時間ほどで 5150mの無名峠への朽ち落ちた木橋の残骸が流れに残っていて、標高差 100m余りの峠にケルンとタルチョーが見えた。今では利用されていまいと 思われる峠への路である。  主に左岸を一向に高度を稼げない登りが続き、今ではすっかり干し上が ってしまった5250mの湖の姿は貧弱なものとなっていた。残雪が僅か残って いた。Nalakankar Banjyangへ廻り込めば行ける5924mの東裾野の草原の 広場をベースキャンプとした。この日の2日後、二人のカンパがこのNalakankar Banjyangをマナサロワール湖畔から越えて、我々のBCを中国軍のキャンプと 思い、夜中に通過したと7月9日のキャンプで彼らを雇用したときに、話した。 マナサロワールから一番近い峠であって1日で越境可能でもある。

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  今日は渡渉はない。まあ慌てることもないし。急角度の登高はないのでアンシン!安心。 今日はメンバーが異なる。
いつもの ツルジムに変わり、カンチャとタケとLIMIの3BAKAトリオと元気に出たのは良かったが・・・・、
すぐ本流を左岸に渡渉せねばなら ない。それに広い・…。 何とか、かんとかもう失神状態でBCに辿りついたものの、腹が減った。
朝食はなんと「おかゆ」だったし、昼はツアンパだし・…。メンバーは 弁当の藤田米を二人分くらい食ったOBAHANsらは何の!何の!
これくらいの距離・…!。 で、急激に機嫌悪化のバラサーブは食糧係のINOUE&FUJIMOTO =2OBAHANsを叱りとばした。
「AHO、BAKA・・・・」とても格調高いこのURLに記すことが出来ない罵声であった。
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