1st,July

7月1日 Lapche Banjyang
Taisolu Kholaから4712m N30 20 276 E81 39 573のキャンプに戻り、 翌日すぐ北の Lapche Banjyang 5048m N30 26 698 E81 37 714. 地図上 5018m N30 26 40 N81 37 42 へTyphoon、Take、水谷さん、 サーノ・ツルジムの4人で出かける。朝一番のSaja Kholaの徒渉と Gyo Kholaの徒渉に両足はしびれ、痔も悪化して・・・・・・。片道直線 距離で14キロ。徒渉を終えて川床から100m登るとMarjunglaya5082m からのコルに大きなチョルテンが小さく見える。峠に着くとChayakponlu Kholaの右岸に出て、1時間ほどでChownwa Kholaが北東から流れ込ん で、広大な草原。30分も進むと二俣となっていて左に行くと吉永、阿部 の到達したLolung Banjyang 4953m N30 24 55 E81 36 50である。 ここからまだ峠は遠い。6kmもあってお尻は痛いし、峠は遠いし・・・・。 水量が少なくなり、小川になって小さな池が出てくる4900m付近から 西側にキャンの群れ30頭が現れ、広大な大きなコル状の背後に Namnani(Naimona'nyi、 Gurla Mandhata)7694mの東壁が雲の中から 突然現れた。ここから30分300m登るとLapche Banjyangの国境標識 (12)が現れて、チベツト側の山々が畝って見えた。キャンプを出て8時間。 黙々と歩いた?ケツが痛いと騒ぎつつ・・・・。2時前に着いたが40分程 タケが西のPannamu 板那木5239.9mの北尾根へ上がり、マナサロワール とカイラスを確認に行った間、水谷と大休止の放心状態となる。 キャンプまで4時間半。お尻から出血で痛くて!痛くて!4回の徒渉が冷たくて! 冷たくて、長い長い Lapche Banjyang 往復の遠足は終了。ああシンドかつた。

Lapche Banjyangの中国側国境標識は、やはり削られていたけど 標識番号は12番
Lapche Banjyangの南側を見ると出発したキャンプの背後の 5800m級の山々が見えた(コンパスグラス230から244)
Lapche Banjyang手前で ナムナニ東壁が見えて’99年HAJ隊の 野沢井君達のルートが目前に指摘出来て、胸がわくわくしてくる。
 

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